【リコー】リコーの“ひとづくり”精神で、学生たちとともに「“はたらく”に歓びを」が実現する未来を描く/スカラーシップパートナーインタビュー
まるごとnote編集チームです。「モノをつくる力で、コトを起こす人」を育てる、神山まるごと高専に関する情報を伝えています。
神山まるごと高専では、いかなる家庭でも学校へ通うことができるように、学費の無償化を実現したことを発表しました。奨学金基金を設置し、スカラーシップパートナーとして11社が参加。その給付型の奨学金を活用することで学費を実質無償化するという取り組みです。
※1神山まるごと高専(仮称)が、2023年度入学 第一期生の学費無償化を目指す
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000025.000049229.html
※2神山まるごと高専(仮称)が、日本初となる奨学金基金スキームを公開
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000029.000049229.html
このスカラーシップパートナーの一社であるリコーは、“はたらく”に寄り添うデジタルサービスの提供を通して、働きがいと経済成長が両立する持続可能な社会づくりを目指す会社です。打診を受けて自ら急ピッチで参加を決めてくださった代表取締役会長の山下良則さんが、本プロジェクトに対して感じた意義や可能性について、理事長の寺田親弘との対談形式でお話を伺いました。
寺田:山下さんにもお越しいただきましたが、入学式を終えて、神山では学生たちの日常が始まりました。多感な時期ですから、日々色々とあるみたいですが、あきらかに何かが始まったなという感じがします。あれからもう1カ月が経ちましたが、入学式で感じられたこと、なにかありましたか。
山下:行ってよかったなと思いました。なんと言いますかね、ここの学生たちは相当前向きで積極的な子供たちだと思いますが、全員のスピーチを聞いていると、ほんとうに自分を曝け出せている人と、プライドがあってやりきれていない人がいるんじゃないかと思いました。いろんな個性をもった学生たちだと思うので、これからいろいろ起こるでしょう。
寺田:ありますよね、それは、おっしゃる通りで。
山下:だから、名前の通りで“まるごと”包み込むような「なにか」が必要だなと思いました。
寺田:なるほど。あの日は学生たちと名刺交換までさせていただいて。僕もそうでしたけど、学生たちが会長としての(※2023年4月1日付で会長に就任)名刺交換第一号になったと喜んでいました。
山下:あれ、そうでしたか(笑)。
急ピッチで参画を決めた怒涛の1カ月
寺田:リコーさんにはSansanとしても大変お世話になっていて、昨年秋に会食をさせていただいたとき、どこかで高専の話をぶつけようと虎視眈々と狙っていたんです。結局その日はほとんど話せませんでしたけれど。
山下:あの日は楽しく飲んでいましたからね。
寺田:「モノをつくる」という高専のキーワードは、まさにリコーさんがこれまでやってきたことで、どうか参加していただきたいと。それで、会食をきっかけにアポを取らせていただきました。年内にということで、12月27日に。たしか山下さんは年内最終出社日でしたが、まさにこの部屋でプレゼンをさせていただきました。
山下:年末ということもあり、結構、無理矢理スケジュールを合わせましたよね(笑)。
寺田:でも、プレゼン後に「神山に行きたいから、この日調整できますか」という連絡をいただいて。これはいけたかもしれない、って思いました。
山下:釣れたぞ、っていう感じ(笑)?。
寺田:いやいや(笑)。この2年間たくさんの経営者の方とお話させていただいて思うんですけど、とにかく皆さん意思決定が早い。それでほんとうに1月19日にお越しいただいて。
山下:寺田さんとは会食で会うのが2回目だったんですが、非常に魅力的な方で。目の前で言うと照れますけどね。それにしても年末に急に会いたいということだったので、なんだろうなと。急いでいるというのは分かったが、特別イメージが湧かなかったんですよ。しかし、お話を伺って、非常にイノベーティブだと思いました。
2月6日はリコーの創立記念日なのですが、私が社長になってからは特にこの日を大事にしようということで、創業者の市村清がどうやってこの会社を興し、どう世の中の役に立ってきたのかを社員全員で考える機会を作っています。「リコーウェイ」という経営理念の中にリコーが大切にしている7つの価値観があります。3年目だったかな、その年の創立記念日のイベントのテーマはその価値観のうちのひとつの「イノベーション」に決めて、「あなたのイノベーションはなんですか」ということを全世界中に問いかけました。私は様々な課題それ自体の多くは技術で解決できると思うのですが、世の中を解決するのは技術だけでは難しいと思っています。そこにはアイデアと実行力が欠かせない。
今回の話を聞いて「その手があったか」と思ったんです。10億円という額はさておき、この学校を一緒に育てるというマインドを持って、資金を運用しながら学校を回していくというのは、すごいいいアイデアだなと思いました。
寺田:「その手があったか」。最大の褒め言葉です。
山下:イノベーションって、そういうことだと思うんです。「モノを作る力で、コトを起こす」というのは、その手を探すことなんだと。「なんだそんなことで解決できるのか」というようなアイデアがこの場所からもどんどん生まれていくといいなと思いました。
しかし、そうは言っても、これだけの規模の会社なので何かを決めるときには経営会議があるわけです。私は社長が独断で決めるような経営はダメだと思っているので、寺田さんのプレゼンを聞いたその日の夜にすぐファイルをまとめて役員全員に「正月休みで考えてくれ」というふうに投げかけました。それで、私自身も神山のことをもっと知らなきゃいけないということで、とにかく早く行こうと。1月23日だったかな、神山へ行ってから4日で経営会議で最終の決断をしました。
寺田:おっしゃる通り、こういう投資ってリターンが難しいじゃないですか。最終的にはみなさんどういう形で納得をされたんですか。
山下:会社の中に財務指標と非財務指標がありますよね。ESG投資などは一般的には非財務指標になりますが、我々はこのESGに関わる非財務指標を「将来財務指標」と言っています。今欧州を中心に成功できているのは、長い歴史の中で将来財務とみなしている活動を着実にやってきたからで、それが今になって業績にインパクトを与えているわけです。将来財務というのは、そんなふうにだんだん業績に直結する数字になってくる。この財務指標と非財務指標が50:50じゃないとサステナブルじゃないと考えています。
市村自然塾(創業者・市村清の生誕100周年を記念して始まったNPO法人で、農作業を中心とした自然体験活動、共同生活を通じて子どもたちの健全な育成、成長を支援している)にもこれまで1,000人以上の卒塾生がいて、実際にリコーに入ってくれる人もいるし、別にリコーに入社しなくても彼らが社会をより良いほうへ変えてくれると信じているわけです。そもそも将来投資は、これまで支えてくれた社外に対してちょっとずつお返しするというスタンスでやるべきだと思ったので、寺田さんの話を聞いて「その手があったか」というのと、「よし、その手に乗ろう」という感じでした。とてもエキサイティングな1カ月でしたよ。
時間軸を広くとらえた将来投資の視点
寺田:1月にはじめて神山にいらっしゃって、いかがでしたか。
山下:(神山の認定特定非営利活動法人)グリーンバレーの存在も調べていましたし、寺田さんが長い歴史の中でこの学校ができたんだということを話していたのがよかったなと。(グリーンバレーを作った)大南さんがシリコンバレーから戻ってきて努力をしたことで理解者が増えて、この学校にまで話がつながってくる。神山まるごと高専のことだけ提案されていたら、こんなにスムーズにはいかなかったかもしれないですね。
僕は経済同友会で地域共創委員会の委員長もやっていますが、地方は二極化していると実感しています。神山を見て、みんなが神山のようになってほしいということではなくて、自分たちで考えなければ何も起こらないということを伝えないといけないと思いました。現地を訪れて、腑に落ちたような感覚でしたね。
寺田:視察にお越しいただいた際に「学生が移動するためには自転車が必要だ」ということで、44人分の自転車を個人で寄付いただきました。大変ありがたく、すでに学生たちの日常の光景になっているのですが、あの時これが山下さんの見ている世界なんだなと感動したんです。自転車のことを思いつくのか、なるほど、どう人が動くのかを考えている経営者なんだなと。
山下:コロナ禍での変化を考えると、もちろんいいこともあったけど、悪いこととしては、やっぱり行動制限によって経験値が下がったことだと思うんです。それで、神山の学生たちの移動領域を増やしてあげなければいけないと。齊藤郁子さんの山にいるニワトリのぴーちゃんだったかな。橋を渡ってあの子に会うには絶対に自転車でしか行けないからね。
寺田:先ほどの将来財務の話もそうですけど、今と過去と未来がつながっているというか、あらゆる時間軸に想像が及んでいるような印象を受けました。
山下:リコーは複合機・プリンターの会社としては世界のシェアをリードしています。しかし、北欧でのデジタルガバメントの例などをみてもわかるように、プリントのボリュームが減っている。日本でもデジタル庁ができ、今後デジタル化・ペーパレス化がさらに進むでしょう。そういう将来の人々の働き方の変化を見据えて、デジタルサービスへの転換を始めました。リコーは2036年に100歳を迎えます。なんとかそのタイミングで101歳から1歳に生まれ変わらせてやる。そんなふうにずっと2036年のことを考えているんです。
寺田:その時に今回の意思決定も何かつながっていくと素敵ですね。
山下:そうですね。だから(リコー奨学生の)4人には学業を頑張りながら、リコーがやりたい2036年を一緒に考えてほしいですね。別に今のリコーについて学んでほしいわけじゃないです。今のリコーは僕たちがなんとかしますから。
僕が一時期ロンドンにいた時に僕の子どもたちが通っていた学校では、「ハウス」という学校内の縦割のグループがありました。そのハウス内で、高学年は低学年の面倒をみる、というようなつながりがあったんですけど、今回の奨学生もそのハウスなんだなと思いました。5年間で4人ずつ合計20人のリコーというチームのハウスができあがる。そして、同じ学年の仲間よりも強い結びつきができていくといいなと。
寺田:山下さんが学生たちに望むことはありますか。
山下:彼らは一生懸命ゴールを目指して努力してきたわけなので、今何かをしてほしいということはありません。でも、最初にも言ったとおり、全員のプレゼンを聞いてみて、無理をしている部分もあるなと感じたわけです。だから、肩の力を抜いて、でも手は抜かずにやってほしい。プライドを持って育てられると恥ずかしいことを言えない子どもになってしまうわけですが、そういうプライドと見栄は一旦置いておいて、、自分をさらけ出す練習をして、手を抜かずに頑張ってほしいと思います。
「障子を開けてみよ。 外は広いぞ」
寺田:みなさんにお伺いしているんですが、山下さんは15歳のころどんな学生でしたか?
山下:僕は高校まで兵庫県にいて、地域に中学校が5つ、高校は2つというところでした。山があって、たけのこ狩りをしたり、そういう自給自足に近い地域で、自転車に乗って学校に通っていた。僕は兄貴の影響もあって野球ばかりやっていて、朝練して、授業を受けて、夜も練習。プロ野球選手になりたいとも思っていました。
地域に一つしかない普通科の高校に行くのも嫌だなと思っていたころに、偶然私立高校からのスカウトの話があったので行ってみたら、あなたは100人くらいいる中の第二グラウンド(二軍)だと。中学では、僕はまわりでは一番だと言われて、部長までやっていたのに、外の世界はこんなにも広いんだということを思い知らされました。それが挫折という点で一番最初の経験でした。
寺田:そうだったんですか。
山下:受験についての寺田さんのプレゼンがね、刺さったんです。3年間の高校生活のうち大学受験の勉強に1〜2年を費やして、大学に入っても最初の教養期間に遊んじゃうと、結構な年数を無駄にしてしまうと。でも、入学試験がなければ、高校から大学までの数年間を無駄にしなくて済むし、多感なこの時期にもっといろんなことを学べるはずだというのは名言でしたね。自分の過去とも重ね合わせてしまいました。友達こそいっぱいできたけど、あの時期に受験がなければ学べたことはもっとあったのかなと思いました。
寺田:いやぁ、そんなに深く聞いていただけたのですね。
山下:聞きますよ(笑)。本当に外は広いんだ、ダイバーシティの障子を開けろと。開けるということは自分をさらけ出すということでもあるわけで。「障子を開けてみよ。 外は広いぞ」という(豊田グループ創始者)豊田佐吉さんの言葉を思い出しました。僕がイギリスに赴任するというタイミングで仲間たちが大漁旗を作って、そこに書いてくれたんだよね。本当はそれを持ってきたかったんだけど、社長から会長になって引っ越しをしたときにどっかに行っちゃって。写真はあるんだけれど。
それで、代わりにこれを持ってきたんです。これは、僕がイギリスから2002年に帰ってきたとき、当時社長だったの桜井正光さんから「ものづくり企業として世界一を目指す」と言われて。「もの作り革新室」というチームを作って、僕が室長になったんだけど、なんだかひっかかっていたんです。それで発足の大漁旗に「世界一のひと作り」と書いたんだよね。
寺田:そこまで準備していただいて。
山下:ほんとうに見せたかった方は準備できなかったんだけどね(笑)。でも、夢ができましたよ。4人の学生たちの将来が楽しみです。ご両親にも会いましたし、まさにひとづくりだなと。
寺田:山下さんはそれを人的資本なんて言葉もまだ全くない時代から考えられていたわけですからね。
山下:そうですね。「山下、なんでもの作り革新室なのにひと作りなんだ」と、当時の桜井社長には言われましたが。「考えてください、ものだってひとが作っているんですよ」と言い返したら「お前はああ言えばこう言う」なんて言われてね。そんなことも思い出しましたよ、おかげで。
寺田:いやいや、こちらこそ大変貴重な話を、どうもありがとうございました。