山川咲 新しい可能性をはらむ、教育そのものを再定義する
まるごとnote(神山まるごと高専noteアカウント)編集チームです。
社会に変化を生む起業家精神を育てる、神山まるごと高専に関する情報を伝えています。
今回お話をお伺いするのは、神山まるごと高専のクリエイティブディレクター/理事に就任した、CRAZY WEDDINGの創業者・山川咲さんです。
彼女は、2歳の頃にフジテレビのアナウンサーだった父親が会社を辞めて、ワゴンカーで日本一周することに。その後、千葉の田舎に暮らし、中学校3年生まで薪でお風呂を焚いていたそう。そんな彼女の、テクノロジーと自然に対する価値観、教育観、本プロジェクトの展望とは?
教育とは、変化し続けることであり、機会そのもの
ー本日はよろしくお願いします。まず始めに、咲さんにとって、教育とはどういうものなのでしょう?
実は教育って、私の主軸なんだよね。社会人生活は教育業界が始まりだし、もとを辿れば、学生時代のサークル活動を含めて、人の人生が変わったり、人が人によって磨かれていく感じを、ずっと大切にしてきたの。
最初の社会人生活で教えられたことは、価値観の肯定的変化が成長っていうこと。定義し辛いけど、教育ってそういうもので、人間が変化し続けることなんじゃないかな、と思っていて。
私はこう。相手は間違っている、とかではなく「自分が相手だったら」っていう視点に気づいたり、「相手のことは変えられない」と知ることで、頑なに持っていた考えが変わっていくとかね。
一方で、人が変わるのって本当にむずかしいことだと分かっていて。多くの人が変わりたくない、経済的安定がいいと思っているし、変化を選びたくないもの。本当は安定ではないのに、気づかないふりをして、変化から逃げたいものなんだって、この1年の自分の人生でも感じる。だから私は、どうしたら人が変化し続けられるのか、ずっと考えてきたと思うんだよね。そこに対して意識的であった、というか。
ーなるほど。どう考えてこられたのでしょうか?
元々、人材教育の会社にいたんだけど、教育研修という切り口では、既に学ぶ意欲のある本当に一部の人しか出会えないし、みんな成長したいと言って始めるのに、継続して学び続けられる人は、ほんの一握りしかいなかった。新しい価値観をインストールすることや、人生・過去を捉え直すとうことそのものは素晴らしいのに、「このやり方では難しい」とずっとどこかで思っていたの。そんなとき、起業のタイミングでウェディングの世界と出会って、CRAZY WEDDINGを作ることに繋がっていったんだよね。
教育、という観点で結婚式を見ると、面白くて。結婚式を作るプロセスでは、お互いの価値観と向き合って、どんな式にしたいかを考えることで自分を知って、当日までに何をするかを決めて、ある種の目標を立てる。何度も打ち合わせで、私たちのところに来て、経過報告とカウンセリングを受けて、当日を迎える。そして、自己表現したものを一番近くにいる大切な人から祝福・承認されて、それが最も美しい姿で映像や写真に残る。
そうやって自分のことを深く知るからこそ、結婚式を機に転職したり起業したり、人生の変化を迎える人が沢山いるんだよ。これはすごいことだなって思っているの。結婚したら誰しも一度は式を挙げようと考えるし、人を招待する手前、途中で「続けられません」っていうこともなく、コミットメントするしね。私は「結婚式」という名前で、人生を表現できる、一種の教育をしていた感覚に近いのかもしれない。
こう見ると、教育は私の構成要素として外せないものだし、きっとどんな切り口でも教育に通ずるものをやるんだろうな、って思うよ。ただ、寺田さんから理事長を打診されたときは、責任ある予想外のポジションで「10年くらい早すぎかな」って思ったけどね(笑)。
ーおもしろいです。咲さんが捉える教育観は、世の中の人たちがイメージする、高専のいわゆるの教育とは一味違うように感じました。
そうだよね。私は「教育を正しく定義したい」とは思ってないの。教育について分かっているわけじゃないし、誤解を恐れずにいえば、既存のものにはあまり興味がないのかもしれない。
教育や学校とはどうあるべきなのか、関係者の人たちみんなで、ずっと考えてきた結果が、今あるものだよね。ここに参加した私は、もちろんその「今」を超える理想がきっと存在すると信じているから、このプロジェクトに身を投じてる。いつも出発点はそこで、「私ならこうする」「理想はなんだろう」から始まっているの。
私は教育自体は機会だと思っているから、高専の5年間で、どんな機会が生徒たちにあったらいいか、自分だったらどんな機会がほしかったか、そんなことを考えているよ。私たちが信じる機会とは、試してみる場、実践する場、トレーニングの場、悔しいと思う場、喜びが弾ける場、何かに強く臨む場、とかね。
だから、今の教育を定義することより、新しい可能性をはらむ、教育そのものをある種発明したいと思う。私がこのプロジェクトに惹かれているのは、「人間の未来を作る学校」というコンセプトだから。本当におもしろい事例を作りたいし、そんな場所から起業の種も生まれていくと思っているよ。
テクノロジーは世の中のほぼすべて
ー神山まるごと高専では、テクノロジーも重要な学習要素の1つになりますが、咲さんは、テクノロジーをどのように捉えていますか?
毎日の生活で触っているパソコンや携帯、インフラを含めて考えると、テクノロジーって世の中のほぼすべてだ、って思うよね。
ただ、今までは、テクノロジーを過小評価していたというか、正直に言うと掴み所がない感覚で、簡単には分からないから私とはちょっと遠いもの、って思っていてね。
起業しても一番難しかったのは、テクノロジーの領域がブラックボックスだから自分の管轄で通せない、完全に任せるしかない、という状況だったこと。自分で「こうしたらできるよね」って分かっていれば、事業やプロジェクトはもっとクリアなものとして、発展していたと思う。
学校長の大蔵さんとテクノロジーとは何かを、夜通し話したことがあってね。お風呂を例に出して、テクノロジーのことを解説してくれたの。お風呂は石を持ってきて、セメントで固めて、熱が回るように設計して作るんだけど、テクノロジーのことを理解できると、こうやって“何かを作る上で想像できる範疇が広がる”んだよねって。
実体験があると、想像できる範疇があるから、実際に物事を生み出せる。それが発展すると、事業作りや起業につながっていく。私は全てをテクノロジーでやる必要はないと思うけど、テクノロジーはアナログの世界では実現しえないことを、魔法のように実現してくれるものだと思う。スピードも量も質も、一足飛びに。
この学校で育つ生徒には、テクノロジーの範疇や可能性を理解して、「これをしたい」と思ってから、実際に物事を生み出せるリアリティを育んでもらえるといいなと思うね。
自然に触れ、自分を磨いていく創造的な場へ
ただ、同時に、テクノロジーやデザインが分かるだけではもちろん生きていけない。何のために、何を目指して、それらを使うのか。つまり、一番根っこに「自分」が必要で。専門分野を極める前に、確固たる「自分という確信」を持つことに、私は力を注ぎたいなって思う。それが人生において、最も重要なことだと思うから。
そして、朗報!自分のアイデンティティというか、確固たる自分は、15歳。既にこの頃存在していると思うんですよ。私も30代になった時に、15歳くらいまでには大枠の自分はもうそこにあったなと気付いたし。このタイミングで、全てじゃなくとも自分というものに気づいたり、出会ったり、人とぶつかったりすることって純粋に素晴らしいことだと思う。
でもこれは、「やりたいことを見つけよう!」とは違っていて。創業メンバー3人ともが共通していることなんだけど、求められることに応えたり、物事を成し遂げていく過程で、自分のやりたいものや得意分野、好き嫌いに出会っていくと思うから。
そうやって視座が上がれば、成長と共にやりたいことは解像度が上がって見えてくるし、逆に視座が上がっていなければ、5年たってもやりたいことには出会えない。自分の視座・力を上げていく先に、本当にやりたいことが見つかると私は思うんだよね。
それに、やりたいこと、Whatの部分は、歳をとるほど選択肢が増えていくし、移り変わるもの。私自身、人事という仕事に始まり、起業して結婚式を作り、これから学校やSANUをやろうとしている。それって想像もしえないことで、やりたいこと探しで出会えるものではないと思うの。
自己探求は長い人生の中で、ずっとずっと諦めずにしていくもの。ただ、それがないと人生が前に進まないものではなく、ずっと探しながらも、「決めたことを成し遂げる」という連続した行為の中で、物事を生み出す実感を育てていくことが、結果いつか出会う「やりたいこと」に続いていくと思うんだよね。
自分を捉え続け、「マイハート持つ人間になること」と、「想像したものを実際に形にする強い力をつけること」の両方が大事だよね。
ー学校作りでは、咲さんはどんな役割を担っていくのでしょうか?
私の仕事は、クリエイティブディレクター。もちろん、今回のリリースみたいに、WEBや映像も作るし、クリエイティブ全般のトップにはいるけれど、はっきり言って、それが私の主戦場ではなくて。私の価値のコアは、形のない学校作りというものや、神山まるごと高専というブランドに魂を吹き込んでいくことだと思ってる。
本当の意味でこのプロジェクトを、創造的な場にすること、かな。関わる人たちの動機が、ビジネスよりももっと純粋なところにあれるように。「心からやりたい」とか「絶対にこうしたい」とか、そんな気持ちを生んでいくのが私の仕事。
人の気持ちや熱が集まったところに、奇跡は起きるからさ。私はここに息吹をもたらし、熱狂を作りだして、生み出されたものを強化していきたい。作り手・先生・学生という、関わる人間の生きたクリエイティブ、つまり創造性を引き出す、というか。
あと、私は消費者としての立場が割と強い人間で。「これってどうなんだろう?」「それって論理的に正しいけど、別にこっち側からしたら気持ちよくない?」とか、常に生身の人間として考えて、声をあげる立場でもある、と思っているよ。
ー良いですね。また、自然が多い神山町という場所で、学校が生まれるのはどんな意味があるのでしょうか?
これから先、自分の中に自然がないと生きていくのが辛くなるだろうなって感覚があって。自然は、人間の豊かさや心において重要だと私は思うの。じゃないと、自然のムーブメントは起こってないっていうか。みんなそのことに気づいていると思うんだ。
どんどん都市が発展へと向かう中で、私たちは自然を顕著に求めるようになったよね。キャンプに行ったり移住したり。自然の存在なく、自分自身と向き合うこと、未来を考えることは、とても難しいことだから。
あと、私は幼い時に大自然の中で育って、生きることの根本に、火を焚き、森の中を歩き、土を触る体験がある。だから自然という範囲まで想像領域があって、感覚が育って、目に見えない物事を作りあげるクリエイティブに繋がっているのかもしれないなって。
社会人になってから、自然の原体験を作るのはなかなか難しくなるから、若いタイミングで自然豊かな神山町で学べること、生活ができることは、すごく価値があると思うよ。地方に住んでいても、なかなかできない自然的な要素を、取り入れたいと思っているしね。
関わる人の人生がドラマチックに変わっていく学校に
ー自然の中で自分を捉えていった、咲さんだからこその実感値ですね。咲さんは、これから先はどんな未来を思い描いていますか?
私は自分一人で幸せに生きる、という枠を超えて、世界を良くすることに自分の人生を使いたいな、と思っていて。2歳からワゴンカーで全国を2年弱放浪して、千葉の片田舎に移住して、地域に馴染めなくて、周囲から異物として扱われて、中学3年生まで薪でお風呂を焚いて...「なんで私だけ?、何のために生きてるの?、なんでなんで?」と自問自答してきた自分の深い部分や、自分を高めるために投じてきた時間を、せっかくだから高いレベルで還元したいというか。
「意志のある人生を1つでも多く、この世の中に作る」、そうやってCRAZYを立ち上げた私は、その志のためにCRAZYを独立をし、今こうやって学校というものに出会っている。
私が目指すのは、自分の声を聞くこと、不安を超えて挑むこと・変化し続けること、自分自身を偽らずに生きること。そうした自分の人生を生きるっていうこと。それは人間が人間らしく生きる、人間であることに喜びを感じて、「この人生で良かった」と思えることそのものだと思うんだよね。どんな事業やプロジェクトでも私は、この方向性でしかやっていけない人間だと思う。
それを教えるとか、伝えることの前に、自分や自分たちがそう生きられることを、一番大事にしたい。学生の変化を作るには、周りにいる大人たちが、自分自身に変化を迎えられるかどうか、が大切だと思うしね。
私は、高校で学んだことってあまり覚えてないんだけど(笑)、担任の先生の関わりとか、友人とのやりとり、部活で苦い思いをしたことや、文化祭での何かを成し遂げる体験は、ものすごく記憶に残ってるの。そういうドラマが、大人の中でも起きる場所でありたいなと思うよ。学生に求めるではなく、それを一緒に興せるといい。
そして、私が人生で一番良かったことは、起業したこと。人々が常識だと信じるもので出来上がった世界の中で、誰も信じていない、けれど自分が心から信じていることで、世界をひっくり返す。悩み続けながらも、色んなことが起きる毎日はドラマでしかなかったなって。
起業は、「自分で生きていくこと」の最たるもの。自分で勝負をすることだし、全てが自分に返ってくる、厳しいけど、磨かれる場。寮で生活を共にした仲間とは、一生刺激的な話をして、生きている実感を感じられる、特別な時間を過ごせるんじゃないかな。
みんなが信じている常識よりも、自分たちが信じる非常識を、世間に問いながら新常識を、新しい世界を作っていく。それは、全てがドラマのような人生になるから、そんな企業というものの肌感を、15歳からの柔らかな5年間で掴んでもらえたら嬉しいなと思う。その芽は、すぐにとは限らないけれど、いつか必ず芽吹くと思う。
私自身は、この学校のプロジェクトを通じて、自分が「また違う場所に来たな」って思えるくらい、自分自身が成長できること、自分の可能性が跳ねることが、一番リアリティの湧く理想の未来かな。それくらい、自分をBETして(賭けて)挑まないと、その未来は来ないけどね。いつだって、作り手のレベルが、アウトプットや結果だけじゃなく姿勢や人間性が問われている、と思うから私は今も、自分自身がどこまでできるか挑戦中です。
※設置構想中のため、今後内容変更の可能性があります。
[取材構成編集・文] 水玉綾、林将寛 [撮影] 澤圭太