地方からイノベーションを生む。5人の現場ディレクターが見る、学校の未来。
こんにちは、神山まるごと高専note編集部です。この度、神山まるごと高専は、校長のバトンを五十棲浩二へと引き継ぐことを発表しました。
五十棲が神山町へ移住し、厚みを増した5人のディレクター陣。様々なキャリアを経て神山町へ移住し、現場で学校にコミットしていきます。今回は、現場を率いる5人のディレクターが神山町に集まるまでと、第二章として幕を開ける学校のこれからについて伺いました。
学校が存在しなかった頃、それでも移住してやる以外の選択肢はなかった。
村山:今回、五十棲さんが加わり神山町に身をおくディレクターが5人になり、なんだかアベンジャーズ感がでてきましたね。移住第一号は、2021年の10月に移住した松坂さん。当時は学校ができるかどうかも分からない状態だったと思いますが、どんな想いで移住に踏み切ったのですか?
松坂:当時思っていたのは、プロジェクト自体は面白いんだけど、すごいクリティカルな穴が開いてるなって。それが何かというと、当時移住している人が1人もいないっていう。今思い出したのは、寺田さんに「じゃあ、なんで神山なんですか?」って聞いたんです。サテライトオフィスがある縁とかはわかったんですけど、他にも色々言われた後に、 「まぁ、神の山だからな」って言われて、なんかよくわかんないけど納得力あったんですよね(笑)
ただ、当時は、ちょうど先生が採用されている最中だったんですけど、学校は絶対的に現場が大事な中で、誰も移住せずこのプロジェクトがうまくいくことは絶対ないなって、これは確信的に思っていた。そう思って神山町を見に行ったのが1番最初だったと思います。
実際に、新しいものが次々と生まれてくる神山町の空気に触れて、この町で学生たちが育っていくイメージが持てたし、神山町でしかできない教育があると思えたんですよね。だったら、自分が移住してやるしかないでしょと。それに、神山町に縁もゆかりもない自分が飛び込んだら、さらに面白いことが起こるかもしれないって思えたのも、移住を決断出来たポイントだったかなと思います。
村山:私がその約1年後に移住してるわけですが、私自身は、2021年の終わりから、前職のスタッフとしてこの学校のイベントを手伝わせてもらったのが始まりで、その直後に、移住を前提とした転職の誘いをうけ、2022年の8月に神山町に移住しました。
最終的に後押ししたのは、メンバーの本気度でしたね。イベントの準備のため数ヶ月間神山まるごと高専のスタッフと働きましたが、まだ姿形の無い学校を、自分の言語で語って実現しようとする一人ひとりの姿を見て、ハッとさせられたというか。同時に、「自分主語で未来にフルコミットする」って気持ち良さそう、自分もやってみたいかも、と勇気をもらいました。
なので、私にとっては、学校のプロジェクトにコミットするという決断が先にあって、あとは「やりたい仕事がここにあるから行く」っていうぐらいの感じで、すごく自然な流れで神山町への移住を決めました。コロナ禍でリモートワークが主流になって、「より良い場所で働く」って考えが当たり前になったからこそ、この仕事なら、他でもない神山町がベストだよねって、シンプルに思えた感じです。
松坂:当時はちょっとずつ神山町に人が増えてきたけど、学校自体は建設中だったので、コワーキングスペースの一角を借りて、事務局としてた場所で働いていた頃ですね。
学生を迎え、次第に様々なキャリアが集まる学校に。
田中:その次に移住したのが僕だと思いますが、この学校との出会いは2022年の始め、前職のデロイト時代に、理事長の寺田さんがスカラーシップパートナーとして10億の出資に協力してくれないかと会社に来た時ですね。寺田さんのプレゼンをテーブルのあちら側で聞いていたわけですが、世の中の変化についていくためにもこの流れには乗った方が良いって感じでかなり短期間で意思決定したのを覚えています。デロイトにも必ず良い影響があるだろうと直感していました。
2023年4月に1期生の入学式にもゲストで参加させてもらいました。もの凄く感動しましたね。学生も保護者も、本当に苦労してここまで来たんだろうなって、自分の子育てにも重ね合わせながら感じるものがありました。
田中:それと、なんとなく50歳までにデロイト離れ、次のチャレンジをしようかなと思っていた時、高専がパートナー企業の担当を探していると聞き、「それなら絶対パートナー企業側にいた人間がやった方が良い」と伝えたのを覚えています。デロイトで企業が持っているものをどう学生の成長につなげていくかを考えていた際、一方では企業と学校の関係が直ぐには深まらないんじゃないか、お互いにどこか遠慮があるんじゃないかということを感じていました。自分が関わることにより少しはこの動きが加速出来るのかも、企業と学校が上手く繋がればもっと面白いことが出来るんじゃないのかなって漠然と思っていました。
でもやっぱり移住を決めたのは、スポンサー企業として関わるだけだと、実際現場で何が起きてるのか分からないと思ったからなんです。コンサルを25年やってきましたけど、リアルな出来事はクライアントの中で起きているので、なかなか分からないことが多かったんです。
松坂:当時の田中さんとの会話で印象的だった言葉が僕のメモに残ってて。まだ学校が出来る前の経営メンバーの集合写真があるんですけど、「あれがね、羨ましいんだよ」と言ってた。
田中:あの写真を見て、仲間だなってすごく思いました。デロイトに長くいたので、そういう仲間ってそれなりにいるんですけど、なんだろう、もうこれ以上濃い仲間が出来るのかなってちょっと思ってました。でも、ここなら絶対に出来るなって直感して、そういう意味ではやっぱり最終的には人だと思っています。
敦子:私は、最初の校長探しの時に寺田さんから相談を受けていたから、開校自体は知っていたけど、 それから特に忘れ去っていたところに、久しぶりに「色々キャッチアップしませんか」ってメッセージが来て、また人探してるのかなって思ったら、そうじゃなくて「敦子さん来ませんか」って。「え、私?」って感じだったんだけど、そのオンライン会議の直後に夫に言ったら、夫が開口一番「いいじゃん」って。その瞬間に、色んなことがフラットに見えるようになった。
敦子:自分は今まで企業の組織作りをしてきた人で、個人の起業家精神が発露されて、事業が起きて社会が良くなってくっていう、それがもう大好物。でもそれは学校じゃないよね、と最初は思ってた。
でも、30年前に自分でEITC.を立ち上げてからずっとここにいるから、このままだとずっとETIC.だ、もう外に出るなら今しかない年齢かと思って、実はテクノロジー系のビジネスをやってみたいと考え始めていた。でも忙しくてアクションしないで過ぎ去っちゃっていた中、寺田さんから何度も連絡がきて、最終的には、なんか、もう今アクションしなきゃって感じで背中を押された。
田中:なんでしょうね、最終的なところ、僕もそうなんだけど、なんで来たのと言われると、ちょっと難しい。
村山:みんな、学校をずっとやりたかったっていうよりは、学校という器が目の前に現れた時にその可能性をすごく感じたとか、直感が働いたとか、そんな感じなのかな。五十棲さんはどうですか?
五十棲:僕の神山まるごと高専への参加のきっかけは、他のnoteで話しをさせてもらったのでそれは割愛するとして、霞ヶ関で働いていて、コロナ禍でのオンライン生活を経て東京じゃないとできないことって何だろうと考えていたのですが、強いて言えば刺激的な人に直接会えることかな、それだけは地方と比べて都会の魅力かなと以前は思っていたんです。
五十棲:でも神山まるごと高専のお話をいただいて、神山での生活を想像してみると、どうも色々な人が住んでいて面白そうな取り組みがあるようだ、しかも神山まるごと高専の影響もあって日本中から毎週のように神山に刺激的な人が訪問してくれている、と。そして、 神山に住んでいる人たち、神山まるごと高専を訪問してくれている人たちは、自分が今まで深く関わったことがないタイプの人たちで、これは東京で暮らしているより、はるかに面白いんじゃないかと思ったんです。もちろん、家族のことがあり移住について迷うことはありましたが、自分の中では「よし、面白そうじゃないか、やってみよう」と結構すぐに決まったという感じです。だから、今回の話を受けて「神山に移住するんです」と言うと、多くの人が「すごい、よくそんな決断をしたね」と仰るのですけど、自分としては自然な流れの中で決めた感じで、そこまで大仰な決断をした、という感覚は持ってはいないんです。
松坂:全員の話を聞いて、一人ひとりとの出会いが懐かしいなと思いつつ(笑)神山まるごと高専が本当に第二章になったんだな、って感じました。
第一章は学校はないし、もっと言えばできるのかもわからない中で、どうやって学校をつくるかっていうストーリー。でも、第二章は神山町に実際学校があって、学生がいるっていうのが当たり前で、その中の営みをどれだけ豊かなものにしていくのかっていうストーリー。だから、神山まるごと高専で働く=移住するが、当たり前のようにセットになる。よく考えたら学生も同じですよね。学生も神山まるごと高専に入学しようと思ったら、移住するしかないわけで。
学校ってやっぱり生ものだし、学生がいる現場が全てだってことを、組織として大きく宣言した。そして、配役が決まり、体制がそれに追いついてきたから、第二章のスタートって感じなんだろうね。
神山まるごと高専第二章が始まる今、この学校の未来に見るもの。
村山:さぁ第二章ですね!学校の未来をどうしていきたいですか?
敦子:私はやっぱり、起業家精神をもっともっと根付かせていきたいなと思ってる。起業家精神というのは、個人の中に必ずあるから、スタッフも学生も。1人1人のそういったものが発露すると、周りをどんどん誘発していく。ここでいう起業家精神は、起業しろ、といってるわけではなくて、他責にせずに自分の欲しい未来に対して主体的に思考行動し続けるマインドのことなんだけど。個人が頑張るのもいいんだけど、相乗効果で色んなものが引き出され、色々なものが、クリエイティブに変化する。そういうコミュニティが社会に溢れたら良いなと思っている。そういった意味では、それが学校でできたらめちゃくちゃいいなって思いました。
起業家精神は本当に人間の土台になる。そこから、 経済規模への影響を与えていきたい人はそっちに行ったらいいし、ソーシャルインパクト重視だったら社会起業家や政治家でもいいし、 アーティストでもいい。それがあるっていうことの方が、生きがいもあるしみんなが幸せになる。
田中:どんな勢いのあるスタートアップだって、規模が大きくなったり時間が経っていくうちに、安定化していくのが普通だと思うんですよ。神山まるごと高専も、開校して注目を浴びて時間が経つ中で、もしかしたら普通の学校になっていく力が働くかもしれない。
在学中に起業する学生だって出るし、卒業後に神山町で古民家を借りて本社にする学生とかが普通になっていく。 何年かすれば上場する学生だって出てくるかもしれない。それも成功だと思うんだけど、なんかそれってもう想定の範囲内だから、いかにその想定の枠をはみ出せるかを僕は考えたいなと思ってるかな。いわゆるインキュベーションファンドをここで作って、投資家が中にいる学校とか、もっと思考を飛ばして、なんか想定外のことをしないといけないなと思ってるかな。意識して発想を豊かにしていかないと学校は安定化していくっていうのは本当にそうなんだと思う。松坂さんはどう?
松坂:僕はずっと右往左往してたらいいんじゃないかなっていう風に思ってて。これまでは、僕たちディレクターや経営メンバーの発想から出てくる施策が多かったのですが、でも僕たちが考え続けてるだけでは、多分想像以上には面白くならないんだろうなと思います。 スタッフから出てくることの方が多分面白いし、学生からだったらもっと面白い。
「こんなのやるって言ってる」「大丈夫なのかな」「いやもう始まってるらしいよ」って言いながらドキドキしてるみたいな。そういうことの連続で、想像してない世界を見たいなっていう風に思います。だから、形が決まること自体には、あんまり面白みがないんだっていう。
村山:たしかに。少し違うかもしれないけど、想像できることは大体実現できるんだ、ってここにいると信じられるんですよね。だから、何かを想像できた瞬間に、「じゃあ、やろうよ」とフライング気味にでも勝手に始められる、そのことの方が未来に向けて時間をかけて形を決めるよりも大事なことだと思います。
それには、もちろんリソース的に時間がかかることもあるけど、学生もスタッフもまずは応援されていると感じられる、「やったらええんちゃう」というカルチャーをもっともっと確かなものにしていきたいですね。まさに敦子さんが言う、一人ひとりのアントレプレナーシップが誘発し合えば、「そこまで想像できるならやるっしょ」っていう起点をみんなで持てるんじゃないかなって思います。
田中:神山まるごと高専の学校紹介動画でも学生が言ってるけど、「今までは自分がやりたいと思っても多分どうせ出来ないだろうと思っていたけど、今は何か口に出せばみんなが協力してくれるんじゃないか思い、意思を伝えられるようになった」って。まさにβ Mentalityだけど、自分の意思を周りに伝え、「とりあえずやってみよう」から始まることの連続が新しい未来をつくるんじゃないかな。
松坂:僕は、ちょっと臭い言葉を使うならば、大事なことは希望があることだなと思っていて、 こんな風になれるんじゃないだろうかとか、こんな風に思ったら、素敵な未来になるんじゃないかっていう風に、希望が持てるってすごく重要だなって思ってる。それは、神山町自体がこの学校ができたことによってある意味で1つの希望を持ったみたいなことだったり、 学生たちにとってはこの学校という存在自体が何か希望になったりとか、そういう期待や希望みたいなものがすごく大事なんだろうなという風に思った時に、僕たち自身がその希望を持ち続けていけるかどうかってすごい重要なんだろうなって。
五十棲:希望って良いですね。以前に「この社会を変えることができる」と若者が感じていない、という調査が話題になったじゃないですか。でも、あれって若者だけでなく大人でも「社会なんて変えられない」と思っている人が日本では大半だと思うんです。そんななか、神山まるごと高専は「大学受験に出口を縛られず、社会とつながる学びを実現したい」とか、「家庭の経済力と関係なく意欲ある若者が学び、伸びていくことができる学校をつくりたい」とか、学びについて多くの人が思うであろうことについて「その手があったか!」という方法で実現してきました。このこと自体、社会の空気を変えてきたんだと思っています。
そして、そんな学校での学びや経験を通じて、今後、学生や卒業生たちが社会の色んな所でイノベーションを起こしていく。学校や学生たちの活動が束になることで「あれ、社会って変えられるんじゃないか」という空気をつくっていきたい、と思っていて。そんな、希望を灯すことができる学校になっていきたいですね。