神山学び日誌Vo.2 神山町に学校がある理由を探究する
皆さん、こんにちは。神山まるごと高専 事務局長の松坂です。2021年に東京から神山町に移住し、4年目になりました。「移住したんです」と言うと、「田舎への移住、不便はなかったですか?」「家族の反応はどうでしたか?」など聞かれることもありますが、一番多いのは「そもそも、なぜ神山町に学校をつくったんですか?」という問いです。今回はこの問いについて考えてみたいと思います。
高専設立のきっかけは「縁」
「なぜ神山町に学校をつくったのか?」という問いに、「神山町に学校をつくった経緯」を踏まえて答えるならば、それは「縁」という答え以外にないと思います。具体的に言うと、神山まるごと高専設立の発起人であり、現理事長の寺田親弘が、神山町にサテライトオフィスの第一号をつくった縁です。
東京生まれ東京育ちの寺田が神山町に縁を持ったのは、2010年のこと。シリコンバレー滞在も経験した寺田が、東京で起業する中で持った「もっと自然豊かな場所で、クリエイティブに働くことができるのでは?」という疑問。
それを友人の建築家にぶつけたところ、「そういうことなら、面白い町がある」と紹介されたのが、神山町だったのです。友人の建築家が神山町に縁を持っていたのは、さらにその友人の建築家が神山町で作品をつくるアーティストのためのアトリエ改修に携わっていた縁からでした。さらにその建築家は神山町に住むアーティストの方からの縁。縁が数珠つなぎのようにつながっていった結果、寺田と神山町の出会いがあったのです。
そして、寺田自身が神山町を訪れる中で「ここに働く場所をつくろう」となり、古民家を改修してサテライトオフィスをつくった。これが、神山まるごと高専ができるまでにつながる、物語の最初のきっかけです。寺田自身が「いつか学校をつくりたい」と志す中で、縁のある神山町が候補地となることは、不思議なことではありませんでした。
しかし、こうした経緯を説明しても「なぜ神山町に学校をつくったのか?」という疑問が十分に晴れるわけではありません。質問者が本当に晴らしたい疑問は、学校を神山町につくった経緯ではなく、学校をつくる場所として、他の場所ではなく、神山町を選んだ積極的な理由だったのです。
奇跡の田舎と呼ばれるまち
そもそも神山町とは、どういった町なのでしょうか。神山町は、四国の徳島県に位置し、徳島空港からは車で1時間、徳島市内からも車で40分ほど走った場所にある人口約5000人の町です。豊かな自然があり、かつては林業で栄え、最盛期には2万人もの人々が暮らしていました。
しかし、林業の衰退や人口減少により「消滅可能性自治体」としても名が挙げられるほど、厳しい状況に直面している過疎の町です。日本の典型的な田舎町と言ってよいでしょう。
しかし、神山町は単なる田舎町ではありません。面白い田舎町、と言ってよいまちです。30年も前から世界中からアーティストを招いた「アーティストレジデンス」を行うなど、地方都市としては珍しい文化的活動が展開されていたり。都市部の企業がオフィスを構える「サテライトオフィス」があり、町に新たな雇用と活気が生まれていたり。存続が危ぶまれる田舎町とは思えないようなイノベーティブな取り組みが次々と生まれ、人口の社会増を実現するまでになりました。そして、神山町は地方創生のモデルケースとして注目され、「奇跡の田舎」として称されることさえあります。
これらの特徴も神山町に学校をつくる理由になります。神山まるごと高専の学びの柱の一つである「テクノロジー」はサテライトオフィスの文脈と親和性が高いですし、「デザイン」はアーティストインレジデンスの文脈とも親和性が高い。グッドデザイン賞を取っているプロジェクトも複数ある。
新しい取り組みが次々と生まれている事実は、「起業家精神」とも親和性が高いはずです。こうしてみると確かに神山町に学校をつくる理由にはなりそうですが、私にはどうも取って付けたような感覚がぬぐえなかったのです。それは、そもそも「なぜこの町には新しいコトが次々と生まれてくるのか?」という疑問が残るからです。
新しいコトが生まれる理由
なぜ神山町に新しいコトが生まれるのか。この問いに答えが出せないと、神山町の本質はつかめないように思えました。私自身、2021年に神山町に移住し、生活を始める中でも、ずっとこの問いについて考える日が続きます。
探究していく中で、私は一つの言葉にいきつきます。それは「やったらええんちゃうん」という言葉です。この言葉は、神山町の町づくりを推進してきたNPO法人グリーンバレーの創立者である大南信也さんの口癖。神山町の風土を表している言葉ともいえるかもしれません。
なぜ神山町に新しいコトが生まれるのか。そもそも、人と同じでは、新しいコトは生まれません。新しいコトが生まれるには、必ず「人と異なる選択」があります。しかし、「人と異なる選択」をすることには一定のパワーが必要です。「失敗したらどうしよう」「周りからどう思われるだろう」などといった、心の不安や同調圧力によって、チャレンジの芽が摘まれていることは多くあるのではないでしょうか。「人と異なる選択」をして、新しいコトを始めようとする。その時に「やったらええんちゃうん」という言葉が投げかけられる。その言葉がどれだけ挑戦者への背中を押すエールとなることか。こうした応援の声が、新しいコトが生まれる後押しになっているのだと、気が付いたのです。
ここまで考えると、一つの答えが見えてきました。神山町で新しいコトが次々と生まれるのは、「人と異なる選択を応援する風土」があるからではないか。そう答えを出した時、全てがスッキリした気がしました。何を隠そう、これこそが私が神山町に惹かれた理由そのものだったのです。 新しいコトに全力で挑戦できる学校をつくりたかった。未来を担う子どもたちが町に暮らし、生きていく時に、「人と異なる選択を応援する風土」の中で育って欲しかった。だからこそ、私たちは学校をつくる場所として、他の場所ではなく、神山町に惹かれたのだと思うのです。
応援の風土で豊かに学ぶ
あくまでも私個人の視点から見た理由なので、「なぜ神山町に学校をつくったんですか?」という問いには、スタッフの中にも様々な解があるかもしれません。
しかし、開校して約2年弱。神山まるごと高専に入学した約80名の学生たちが、神山町で過ごしている様子を見ると、まさにそんな風土をフル活用している様子が見て取れます。
開校して間もなく、「せっかく神山にいるし、農業やりたいんですよね」と言い始めた学生がいました。土地を貸してくれる人、古い農具を譲ってくれる人、農業を教えてくれる人。そうやって、地域の人たちが次々と協力してくれます。協力をもらいながら、沢山の応援をもらいながら、あっという間に「まるごとファーム部」という部活が立ち上がりました。今年度は地域の人たちに収穫した野菜をふるまう、感謝祭を開催できるまでになりました。
他にも、アルバイトを募集してないお店に、「アルバイトさせてほしい」と突撃し、アルバイトをさせてもらっている学生がいたり。神山町を舞台とした映画を撮りたいと言って、様々な撮影の協力をもらっている学生がいたり。町役場に提案して、地域の防災アプリを一緒に企画し、開発をさせてもらう機会をいただいている学生もいます。
「こんなことしたいんです」と投げかければ、「こんなイベントあるよ「人紹介するよ」「手伝おうか?」「一緒にやろう」と応援の手が差し伸べられる。そんな応援の風土の中で、関係性が育まれ、学生が挑戦し、育っていく。確かに新しいコトが芽吹いてくる兆しを感じています。
植物が大きく育つためには、様々なことが必要です。種を植え、水をやり、雑草を抜き、育てていく。だからこそ、私たちスタッフも、学生も全力で取り組んでいきます。
多くの先人が耕し、豊かに育んできた、神山町の土壌に植えられた種は、きっと大きく育ち、未来を変えていくのではないかと思うのです。私たちも、その未来を心から楽しみにしています。