引き継がれる校長のバトン。神山まるごと高専 第2章の始まり
こんにちは、神山まるごと高専note編集部です。この度、神山まるごと高専は、初代校長の大蔵峰樹から、新校長 五十棲浩二へと、校長のバトンを引き継ぐことを発表しました。
この記事では、理事長の寺田親弘を加えた3名に対し、クリエイティブディレクターの村山海優が聞き手となり、この交代の裏側にある物語をお届けしていきたいと思います。
村山:まずは、五十棲さん、Welcome to 神山!
五十棲:ついに移住も完了しました!夏季休業中なので今は寮に学生がいなくて寂しいですが、少しずつ神山町での生活に慣れていきたいと思います。今は早く山に登りたくてうずうずしてます(笑)
寺田:ここから神山まるごと高専の第二章が始まる感じがするんだよね。この校長交代は、結果としてはすごく良い方向に行くだろうなっていうワクワクを感じてます。
村山:まさに。校長交代の一連の流れの始まりから、その時その時のリアルなストーリーを聞かせてください。
「学校は、育てるプロジェクト」今こそ第二章に移る時。
寺田:2019年に学校を作るプロジェクトを発表して、2023年4月の開校がありここまでやってきたけど、体感として学校は作るプロジェクトじゃなくて、育てるプロジェクト。学生は現地にいて、教育現場はここにあるわけなんで、神山にいる人たちが経営にちゃんとコミットしていかないとというのはずっと思ってたよね。今年の4月に副校長にETICから鈴木敦子さんが、寮・パートナーディレクターとして元デロイトの田中義崇さんが加わって、まさに開校から2年目を迎えた今、グッと速度が増してきたなと。
大蔵:そうですね、月に何度か神山に行くという形で、開校前と同様今後もなんとかやれると思っていたんだけど、人が入ってきて、移住しないと成り立たないなって感じた。いくら役割分担をしても、校長は校長。現場で起こっていることを判断するって、難しいなって思った。そんな時に自分の体調が不安定になっていって。もちろん5年間はやりたいというか、やろうと思ってたんで、立ち上げたZOZOの会社を辞めてでも学校に専念するっていうのも考えたのですが、そうするにも体調が難しくて。
寺田:簡単ではない判断だったと思います。その一方、本校の掲げるビジョン、あるべき姿や取るべきスタンス自体が、β Mentality。普通の学校ではなかなかしない判断かもしれないけれど、この校長の交代自体、本校の精神性を象徴する動きなんだなと思います。
村山:たしかにそうですね。立ち上げからいる私自身としても、校長交代とかしこまった感じよりも、仲間が増えるっていう感じの方が近い気がしています。日々、正解がない中で様々な議論をしながら色んなものを形にしていくわけですが、決して大きな組織ではないからこそ、一人ひとりの視点やその違いの積み重ねが、結果的にインパクトを生める。学生も一緒です。これから3年間は毎年学生が40名ずつ増え続けて、きっと毎年全く違う景色が広がって、その中で、形を変えながら学校が出来上がっていく。そういう有機的な組織が、この先で非連続の成長を生めたら面白いなとワクワクしますね。
校長として迎えた学生への想い。「新入社員のような、一生の付き合い」
大蔵:私が正式にこのプロジェクトにジョインしたのは2020年の11月。もうあれが4年前か、文科省への設置認可申請書提出まで1年切ってたタイミングだったかな。当時、もちろん寺田さんや他のメンバーのつくりたい学校像はあったんだけど、それが申請書類になっていなかった。だから、学校設置の根幹となる「設置の趣旨」を書くところから始めて、それをベースにカリキュラムなどを考えていて、ほとんどの部分の骨子を作らせてもらいました。
寺田:僕自身は、申請書出すまでにとにかく開校資金を集めなきゃというのに必死で、大蔵さん書類は頼んだ!って感じで。
大蔵:それもあってか、1期生の入学式の時は、今まで散々設計図を書いてきたので、ようやく血液が入ったって感じられた。多分何も響かない例えだと思うんですけど、僕が最初に新しい倉庫を作って、1個目の注文の出荷を出した時の感じ(笑)とにかく、この目の前の学生の一生が目の前にあるような感覚と、責任感を持ちました。
自分が作ったカリキュラムでは、学生として育っていくよりは、なんというか一人の新入社員を育てて付き合っていくようなイメージを持っていました。一人の自立した「モノをつくる力で、コトを起こす人」を育てるイメージ。1,2年時にはモノづくり系のカリキュラムを多く配置して、力がついていった先に、アントレ系科目でコト起こしに接合して、経験を積んでもらうみたいな。2年目に入り、もちろん狙い通りにできた部分もあるし、チューニングが必要かなと思う部分もある。設備ももっとアップデートしていきたい。そこの部分は、引き続き、テクノロジー教育理事として。そして高専出身者理事として、向き合っていきたいなと思います。高専ってやっぱり15歳から20歳までいるがいる空間は、本当に小さな社会のようになるのが特徴だなと思っていて、それを高専出身者としてカルチャーづくりの観点から支えたい。
学校をグロースできるリーダーとの、運命的な出会い。
村山:その大蔵さんのバトンを引き継ぐ校長探し。大変だったんじゃないんですか?寺田さんもすごい勢いで色んな人に会いに行っていましたよね。
寺田:もうそれだけは自分の役割だって思って、半年くらい、あらゆる分野の人に当たれるところから当たっていたかな。探していたのはこの学校の強み、伸びてくる学生たちを引っ張り上げられる人。色んな人に相談に行った中紹介で五十棲さんの名前が上がって、すぐに連絡をしましたよね。
五十棲:連絡がきた時はびっくりしましたが、実は僕ら、10年前に会っていたんですよね。大きなカンファレンスで名刺交換したぐらいですが、すごい起業家がいるんだなと思った記憶がありました。だから神山まるごと高専を寺田さんが始めたことも、もちろん知っていました。
寺田:そうでしたね。お久しぶりですってチャットして、すぐに朝30分オンラインでセットして、単刀直入に「校長やりませんか」って。
五十棲:それがすごいタイミングで、ちょうど経産省での任期が節目の時期にあり、これからどうするか意思決定しなきゃいけない時期だったのです。声をかけていただくのが数週間遅ければ、こういう結果にはならなかったかも。
実は、1年前に神山まるごと高専の見学にたまたま来ていて、学校や町に対してなんとなくのイメージを持つことができていたことも決断には役立ちました。
村山:もちろんこんな話になるなんて知らずにということですよね。私もその時会いましたね。神山まるごと高専はどんな印象でした?
五十棲:純粋に面白いなぁって思った。なんだろう、まず町や学校全体の空気感が素敵だな、と。それから、可能性。よく「課題先進地域」から課題解決を、と言いますよね。もちろん日本の地方には良いものが沢山あるというのは感じてましたが、課題が「解決」につながるピースとして必要なのは、お金と人とテクノロジーだと思うのですが、神山まるごと高専の存在はその解決の糸口を作っている。多くの国や地域がこれから抱える課題を解決できる可能性があるなって思っていました。
新校長就任への決断。「今までやってきた全てが重なる場所に見えた」
村山:東京で積み上げてきたものがたくさんある中で、開校2年目の学校の校長で、しかも地方でフルコミットするって、なかなかすぐ決断できることじゃないですよ。
五十棲:たしかに、自分自身のキャリアの中では色々やらせてもらいましたね。学校では担任や授業のほか、留学の支援やSSH(スーパーサイエンスハイスクール)の企画なども。それとアメリカのビジネススクールにも行かせてもらい、夏休みにはシリコンバレーのベンチャーキャピタルでインターンしたり。さらには、生徒に探究やろうって伝えてるのに自分自身が探究してないなって思って、慶應大学SFCでデータサイエンスの社会人博士課程を始めたりも。
そうやって自分のキャリアを振り返った時に、神山まるごと高専という挑戦は、なんだか今までやってきたこと全てが重なるように感じたんですよね。学校、行政、研究それぞれの面から教育に関わってきたキャリアにおいて、ここで断ったら後悔するなと思いました。
大蔵:神山まるごと高専としても、五十棲さんとの出会いはパズルのピースが綺麗にはまる感じがありましたね。今までは、大きなピースを無理にはめて進まざるを得ない感じがどうしてもあったので。そういう意味で、五十棲さんは目の前の学生にどう向き合うかという視点に加えて、そのもう1段とかもう2段上の、学校としてどうしていくかとか、地方とかその行政とかっていう、重層的な視点を持っているなと。
村山:確かに、五十棲さんのキャリアを見ると学校現場でのミクロと、経産省としてのマクロ、その両方を持っているイメージ。その上で教育の変革に向き合ってきてらっしゃるのかなと。
五十棲:個人的には、マクロはミクロの積み上げでしかないと思っているんですよね。1つの大きな事例を作る方が、結果として全体も変わるみたいなのがあると思っていて。経産省でやっていたことも面白い挑戦をやっている人たちをどう応援するか、小さな動きをどう束ねて大きなうねりにしていくか、ということ。例えばスタートアップが制度的に困ってたらどう制度を変えればよいのか考える、とか。逆に言うと、挑戦しているプレイヤーがいない限り、経産省での仕事って成り立たないし、そういうプレイヤーが日本にはまだ少ないとも感じていました。だから、自分の中ではプレイヤーとして、神山で事例を作ることは、これまでやってきたこととも一貫しているという感覚で。
村山:寺田さんが構想を発表して、大蔵さんがジョインして始まった第一章は、開校という比較的明確な目標があったわけですが、第二章以降これから先は、どこに進んでいるか分からなくなったり、とはいえ目の前で学校自体は進んでいく、という事もあるかもしれません。マクロとミクロの両方の視点を持てることで、この先、何年経っても新しい学校であり続けられるんじゃないかな、って希望を感じています。
始まる神山まるごと高専の第二章
村山:第二章の神山まるごと高専では、どんなことをしたいですか?
五十棲:僕は、この学校を通じて世の中に希望の灯をともしたいな、と思っています。言葉にすると「学びと社会をつなぎ、人と地域の成長に希望の灯をともす」こと。
いま、学びについて言えば「努力して何の意味があるの」とか「勉強する意味が分からない」みたいに思っている人が多いと思うんです。受験のため、就職のため、と言われてもピンとこないし。それから若者だけじゃなくて大人にも「社会が変えられるなんて思わない」と感じている人が多い。
神山まるごと高専は大学受験を意識することなく、社会と学びとをつなげてしまおう、という大胆な試み。ここでの生活を含めた全体が学びで、その学びを全力で頑張っていたらイノベーションの担い手が育っていく。そんな純粋な成長のモデルを通じて「一生懸命に本気で取り組むことってカッコいい」と感じられるような学びの形をつくっていきたい。
村山:では、着任したら学生たちとどんなことがしたいですか?
五十棲:まずは学生たちとしっかり話したいですね!私自身が神山まるごと高専の寮で暮らしているので、生活をともにすることになります。学生とスタッフの距離が近く、その関係も良い意味でフラットというのが神山まるごと高専の強みだと思うので、食堂で食事でもとりながら、少人数で学生たちの思いや悩みをじっくり聴いてみたいと思っています。
神山まるごと高専は多くの企業のサポートを受けていることもあり、企業の方と何かを取り組む、といった機会は本当にたくさんあります。一方、学校の主役は学生たち。彼らが何をしたいのか、いま、どんな学びをしていきたいのか。学校や大人が与えすぎるのではなく、学生たちが自分自身と向き合い、周囲に流されることなく、どんなことを深く学びたいのか、どんなプロジェクトに挑戦したいのか、じっくり考えて内省したうえで選択・決定ができる、そんな環境をつくっていきたい。そのうえで、学生が自ら手を挙げて実現したいと考えるアイデアを「どうやったら実現できるかな」と大人が一緒に考えていけるようにしていきたいですね。そして、神山という素敵な町の中にある学校ですから、積極的にでかけていって町民の方と一緒に取り組むプロジェクトも是非やっていきたいですね。
村山:寺田さんは、五十棲さんが校長。敦子さんが副校長として教育現場がグッと力強くなる中で、どこに力を入れたいですか?
寺田:僕は、この学校自体、シリコンバレーにおけるスタンフォードのような、社会に開いて、町に開いて、 企業や起業家が出入りするハブとなることをイメージしていて、要は学校を中心としたエコシステムを作りたいんだと思う。徐々にできてきてると思うけど、 ここで知り合った人たちの横の繋がりも含めて、豊かな生態系になっていくことだと思うんですよね。だからそれに向けて、今回マネージメントチームが再始動する中で、任せるところは任せて、僕はその場作りにもっと目を向けて、時間を使って。 生きてるうちに見られるとは限らないですけど、100年後でも良いから、この生態系が本当に豊かなものなっていくのをイメージしながら色々手を打っていきたいなと。
神山で起業することが、好きだからとかじゃなくて、有利だからっていうような状況を作りたいなってすごい思うわけですよ。ここで起業した方がいいじゃんっていうな。やっぱ今だとやっぱ東京行かないと人、モノ、金にアクセスできないし、みたいな状況が変わっていくと思う。
五十棲:いいですね!神山まるごと高専という学びの場を中心に、寺田さんが言うエコシステムが育っていって、神山という町と学校から次々と挑戦がうまれていく、ということを夢想しています。さながら、未来のシリコンバレー。そうしたら、「おぉ、社会って変えられるんだ」という空気ができてくるんじゃないか、と。そんな、空気を変える学校にしていきたいですね。
村山:ありがとうございます!第二章が始まったばかりの神山まるごと高専。ぜひ半年後にまたインタビューさせてください!いい学校にしていきましょう!