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「日本の田舎町に未来のシリコンバレーを」神山町に高専を作る、3人の決起物語

はじめまして。まるごとnote(神山まるごと高専noteアカウント)編集チームです。

神山まるごと高専は、Sansan株式会社CEOの寺田親弘さん、グリーンバレー代表理事大南信也さん、株式会社2100共同創設者国見昭仁さんの発案で始まった学校作りのプロジェクトです。
IT、AIといった最先端のテクノロジー教育に加え、UI/UX、アートなどのデザインも学び、社会に変化を生む起業家精神を育てる、“人間の未来を変える高専”を目指します。

寺田さんや発起人メンバーはこのプロジェクトを推進するメンバーを、半年間必死に探しました。満を辞して、1月27日に発表されたのが、ZOZOの元CTOの大蔵峰樹さん学校長就任に続き、クリエイティブディレクター/理事にCRAZY WEDDINGの創業者山川咲さんが、そして理事長にはSansan株式会社代表の寺田さん本人が就任するというリリースでした。

一見畑の違う3人は、なぜ高専を共に作ることになったのでしょうか。
今回まるごとnoteでは、寺田さん・大蔵さん・山川さんのプロジェクトメンバー誕生のストーリーに、迫ってみたいと思います。

日本の田舎町にシリコンバレーのような場所を作りたい

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山川:
私はブライダル業界で仕事をしていた時から、「業界を変えたい」と思うことは意味がないと感じていて。それよりは、たった1つの面白い事例を作ることの方が、よっぽどパワフルだと思うの。みんなが真似したくなるくらいの。

寺田:
俺もそう思うよ。Sansanという会社での挑戦がまさにそうだし。意見を戦わせるより、実際に作る方がずっと価値が高く、世の中と人間の未来を変えられる可能性があるんじゃないかって。

山川:
きっと人間の未来を変えるような人が、ここ神山町から輩出される学校になっていくと思う。ただ、この今まで必死にキャリアを積んできたメンバーで挑んでも、伸るか反るかの本当に大きな挑戦だと思ってるんだけど、寺田さんはSansanの代表で、経営をとても大事にしている中で、改めてどうして敢えて神山まるごと高専を始めようと思ったのか聞かせてください。

寺田:
それは、Sansanを創業する前、前職時代にシリコンバレーに駐在した経験があって。田舎からクリエイティブが生まれていく空気を肌で感じて、“シリコンバレーのような場所を日本でも作りたい”と思ってね。改めて自分がしたい社会貢献の形を問うても、「人材作りだよな、教育だよな」って。

もともと神山町は、かなり面白いコンセプトで街づくりをしていたんだよ。ロケーションもさることながら、地域創生のパイオニアと言われるこの街を作ってきた、グリーンバレーの大南さんという魅力的な人材がいる。2010年に、Sansanのサテライトオフィスを神山町に開設したご縁もあって、2017年ごろから「神山町に高専を作ろう!」って周りに言い始めたんだよね。

山川:
ご縁によって、行き着いた道だね。神山まるごと高専の詳細は他の記事を見てもらうとして(笑)。今回私はクリエイティブディレクターに就任して、学校長は大蔵さんが担うことになったけど、大蔵さんとはどんな流れで一緒にやることになったか、改めて聞いてみましょう。

「あなたしかいない」。高専出身の経営者で、起業経験もある学校長

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寺田:
いい質問(笑)。この学校に魂を宿すために、核となる人を集めなければと思い、2020年の8月から校長先生と理事長を本気で探す旅が始まったんだ。ビズリーチで公開をさせてもらって、500人以上の募集をもらって。スタートして3カ月の間に、ピンときた30人以上の方に会ってきたんだよ。

そんな中知人から、理事長候補として大蔵さんを紹介してもらって、アプローチすることに。大蔵さんは高専出身で、教育にも興味があるし、福井大学の博士号も持っていて、教授としての資格も十分。オンラインで初めてお会いした時に、最初は「理事長しませんか?」って真っ先に聞いたよね(笑)。

大蔵:
僕は事前に下調べはしていたので唐突感はなかったんだけど、丁重にお断りをしたね(笑)。だって理事長を務めるからには、時間的にもフルコミットしないと難しそうだし、本業のZOZOの業務を抜けることはできない状況だったから。そこで、「まあ先生ならいいか...」と、先生業務を引き受けたのが始まりで。

寺田:
だから当初は、理事長ではなく先生をやってもらおう!と話が進むはずだった。ところが、俺の中では「よくよく考えてみると、この人しか校長はいないんじゃないか」とだんだんと思うようになってきて(笑)。

当時、神山まるごと高専設立準備委員会には、経営者を経験している人が少なくて。その点、大蔵さんは創業から昨年まで、ZOZOの元CTOであり、起業経験もある経営者で、物事をきちんと進められる人。100人以上のマネジメント経験もあるし、テクノロジーが分かっていて、教えるべきことの内容も知っている。その上、高専出身なんですよ。「もうあなたじゃないですか!」とスイッチが入ってしまって(笑)。

山川:
寺田さん、スイッチが入ったらとことんだもんね。私も理事長に誘ってもらっていて、その時に経験しました(笑)。大蔵さんは丁重に断っていた中で、どうして校長をやろうって思ったの?大蔵さんのスイッチはどこで入りました?

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大蔵:
そうだね、先生として授業のカリキュラムを決める為に、神山に初めて訪れて、立ち上げメンバーと話をして。その時に感じたことは「高専のことをちゃんと理解している人は誰もいない」ということだったんだ。

表面的な高専のメリットや、外から受ける情報は皆さんご存知だったんだけど、内情を知っている人は誰もいなくて。このままじゃ、高専という名前のついたフリースクールになってしまう、まずいぞ…!と思ったんだよ。先生の立場として、本腰を入れてやらないとなって。

山川:
うんうん、高専出身の大蔵さんだからこそ。まだその頃、私を会議とかみたけどふわっとしていたしね。

大蔵:
そう。その後も、寺田さんには軽く何回か誘われて、また断ったりして。そのあと昨年の秋頃だったかな。焼肉屋で話していたときに、「校長先生やりませんか!」と再度言われて。「いやまだ1杯目なんで、もう1杯飲ませてください」って言って。その時に、大体もう諦めていましたね。席を立ってトイレに向かい、一旦冷静になるために深呼吸して…「やります」って軽い気持ちで返事をして。

山川:
えー!トイレで何があったの?(笑)

大蔵:
いやあ、今日は絶対に了承しないと決めてきたんだけど、「これはもう逃げれんな」と思って。始めから寺田さんは「もう今日は大蔵さんにお願いするつもりで来た」と言っていて雰囲気も本気だったし、事前情報やら外堀をバンバン埋めてきて。寺田さんはYESというまで世界の果てまで追いかけるなって思って、遅かれ早かれ了承するんだったら早いうちにと思ったんだよ。

寺田:
ずるいね俺(笑)。

山川:
大蔵さんってそういうふうに言うけど、本当に興味がなかったらやらないでしょ。さすがに。最終的に了承したのはどうしてかちゃんと教えて!

大蔵:
真面目に答えると、高専が日本で新設されるのは、おそらく20年ぶりのことで。高専卒業生として、新設校に初代校長として関わるのは、やりたくてもやれないチャンスだと思ったんだ。チャンスってなかなか自分では取れないものだから、声をかけてもらえるならやっちゃえって。僕は話を聞いた時から、高専の可能性には人一倍、確信があったしね

それにタイミングも絶妙だった。去年は、務めていたZOZOTOWNの現場を離れた年で。自分はもう次45歳なので、残りの人生を何していこうか、って考え始めていた時に、心の隙を突かれた感じですね。この話が1年早くても、1年遅くても、決断することはなかったと思う。

「寺田さんがやるか、やめるか」究極の二択から生まれた新体制

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寺田:
もう了承してくれた瞬間は、歓喜だったな。「わー、ありがとうございます!」って。その時にはもう、山川さんに理事長をお願いしようと、アタックも始めていたよね。

UWC ISAK Japanの小林りんさんに、「理事長を探しているんです」と相談した時に、「この人がやってくれたら最高」と紹介されたのが山川さんで。お会いして、「はじめまして、理事長やりませんか?」と伝えたよね(笑)。

山川:
私は、当初寺田さんという人間が面白そうだから、会いに行ったんです(笑)。会社の実績を見ても、すごい経営者であることは間違いないし、所属するコミュニティも全然違うから、普通だったら会う接点もなさそうだしね。実際に会ってみると、側から見たらタイプが違いすぎて意外かもしれないけど、「この人と仕事を一緒にやったらうまくいきそう」と思って。第一印象で、相性の良さを感じたことはよく覚えているね。

それに、高専は文科省の認可を受けてなお、一番自由が効くクリエイティブなシステムなんだと、話を聞いて理解して。中身が伴わないのに世間的に良い大学、良い就職を求めがちな日本における、学校の「第三の解」になるなと直感的に思って、この話をちゃんと考えようって。

ちょうど私はそのとき、西日本をキャンピングカーで旅をしに行くタイミングだったから、その期間を含めて丸二カ月くらい考えたかな。もしやるとしたら、どうしたらうまくいくのか、集中して真剣に考えてた。

寺田:
山川さんは、いつも「本当にやるんだったらどうするか」を真剣に考えてくれているのが伝わってくるから、話す度に緊張感があったな。大蔵さんと同様、「この人しかいない」とめちゃめちゃ口説いて、遂に山川さんからYESがもらえる、と見込んだタイミングが訪れて。

よく覚えているけど、夕日が沈む時間帯に高層階のラウンジで、面と向かって話しながら「追い込んだ」と思ったその時。なんと山川さんの口から「理事長は寺田さんがやるべきです」という言葉が出てきたんだよ!(笑)。あれは本当に衝撃だった。

山川:
色々考えるなかで、「寺田さんがやるか、プロジェクト自体を白紙に戻すかのどちらかだ」と思ったんだよね。私が理事長としてやることも真剣に考えて、多方面からアドバイスもいただいたけど、結論私がやったら構造的に上手くいかないし、自分の力を発揮しきれないと思ったの。寺田さんのビジネス的な強みや立場、コミュニケーションスタイルなどを考えても、やっぱり私が理事長だったらイメージしている理想は成し遂げられないって。

寺田:
もともとアイデアと資金面は出すけど、自分で学校作りの裏方に回ろうと思っていたからね。でも、山川さんに言われて「本当にそうだな」と思ったのは、俺は経営者としてリアリストな部分と、当然ビジョナリーな部分があるんですけど、誰かが理事長をやって、自分は引いて見るだけだと、リアリストの俺だけが出てしまう。プロジェクトがよれないようにしようって。でもそれじゃあ、誰が立ったってうまくいかないじゃんって、言われた気がして。

それに、お金を出しているオーナーが言う枠におさまるような人であれば、いい学校を作れるわけないんで、矛盾したことやろうとしてたな、結構ずるいことを考えたなって。

山川:
私は本当にやるなら上手くいかせたいし、奇跡を起こしたい。奇跡を起こす為だったら人生を懸けられるけど、中途半端なプロジェクトのために自分の時間は少しでも割きたくない。そこで学校の目指すべき未来を真剣に考えて浮かんだのが、「寺田さんが理事長をやるか、このプロジェクトを白紙に戻すか」、という2択だったんだよね。

大蔵:
すごい二択だね、それを突きつけるって。

寺田:
本当にそうだよ!そのまんま俺に言ってくれて、俺がそれを受け取ってしまうくらいの真剣度のあるコミュニケーションだった。

山川:
正直、勝負をしにいった感じはあったな。2ヶ月も考えて、やらないって申し訳ない気持ちもあったけど、直前に繋いでくれたりんさんにも相談して、申し訳ないというエネルギーで話すのはやめようって。学校の未来のために、真剣に考えて感じたことを全部伝えよう、と決めたの。

寺田さんは多分これまでに、「寺田さんが理事長をやった方がいい」なんて、100回も200回も言われてきたと思う。でも、きっと寺田さんのリアクションを見て、100%ありえないことなんだって、みんなが諦めてきた。

そんな中あの日、真正面から伝えた時に、寺田さんが真剣に受けとめてくれて。目の前で5分10分黙り込んで考えてくれてたよね。私はその姿を見て、自分の中で覚悟を決めたの。この人がもし、これで理事長をやるっていう意思決定をして、そこに山川咲を必要としてくれるなら、私は腹を決めて参戦しようって。

寺田:
俺が理事長をお願いしてコーナーに追い込んでいたつもりが、逆に追い込まれていたとは(笑)。その後、2日くらい眠れない夜を過ごして。俺も覚悟を決めて、Sansanとしてのやることを整理して、役員みんなと話してね。会社としてもこの学校を支援できるように働きかけた。

数日後、山川さんに、俺が理事長に立って、改めて一緒にやりたい気持ちを伝え、握手を交わしたね。いやー、人に本気でクロージングされるというか、追い込まれるというか。初めての経験だったな。けど、なんか人生がまた動き出したというか。新鮮な感覚だった。

そんなこんなで、2020年の8月から、校長先生・理事長を探す旅が始まって激動の半年だったよ。結果、私寺田が理事長になり、大蔵さんが校長、山川さんがクリエイティブディレクターという、当初は想像もつかなかった3人の座組が決まったね。

山川:
私が出会った時の学校は、まだお話の中の構想で、芽吹いていなかったけど、寺田さんがあのバーで真剣に悩んでいる姿を見て、私は本当に面白い学校ができる種がやっと生まれたな、って思いましたよ。この3人が真剣にやったなら、今までにない、本当に新しい概念がが社会に興せるかもしれないってね。

作れる人材が、未来を変えられる

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山川:
最後に、みんなそれぞれの立場から、どんな学校の未来を描いているか話す?

寺田:
そうだね。神山まるごと高専のビジョンは「神山から未来のシリコンバレーを生み出す」。この町で育つ人は、色んなチャレンジを神山町内外でしていくことになると思っているよ。すると、神山は人間の未来を変えていくようなインキュベーターが輩出される、圧倒的な磁力を持つ場所になっていくと思う。何十年の先の話かもしれないけど、想像するとワクワクする。

俺はさ、起業家として生きる考え方や能力を、学校で教えてもらったことはなくて。でも、本当は教えられるものというか、触発できるものだと思ってる。思い返しても、野心的な寺田少年に、圧倒的なチャレンジができる機会や、後押してもらえる環境は作れたはずだって。自分が行きたかった学校を作りたいし、自分の子どもを入れたくなる学校を作りたいね。

大蔵:
僕は技術者の考えがベースにあるから、仕組み作りが好きだけど、未来を変える仕組みの中でも「学校を作ること」はかなり難しい、究極のチャレンジだと思っているんだよね。だから時代の流動性には対応しながら、学校としての芯を貫ける仕組みを作ることができれば、僕の中では成功かな。

後、高専は即戦力になり得る、技術者や人材を育てる役割だと思ってて。話が上手かったり、アイデアやプランを考えたりするだけでは、高専に通う必要はないと思う。作れる人を、生み出すことが高専の役割だから。

世界における過去のイノベーションを見ても、自分で作れる人たちが世の中を変えてる。高専で育てたい人材の「起業するデザインエンジニア」の通り、テクノロジーやデザインなどのものを作れる人が、リーダーシップをより発揮していく未来になると思うね。

山川:
いいねいいね。これからの世の中は、何でも分かったりできたりする気がしてしまうからこそ余計に、「物事は、こうしたら実現するんだ」という、実感と実態を持っている人間がすごく強いと私は思う。リアリティというか。それに、「イメージをして、実際に作って、それができる」という感覚こそ、私たち3人がそれぞれの場で培ってきたものだよね。物事を想像して生み出す力。

寺田:
そうだね。キーワードは「グローバルリーダーを育てるのではなく、野武士を育てること」。テクノロジーやデザインを、自分の言語として使うことが当たり前になる時代だから、教育でその実感の芽生えを促せたらいいし、実現するための実地の環境を整えたい。何かやりたいものや、作りたいものが浮かんだら、すぐにやれるのが当たり前になる空間にしたいね!

山川:
私は誰かを育てたい、という気持ちよりは、神山まるごと高専に関わるみんなが、有機的に変化し続けられる場所にしたいな。私たち30代、40代も目の色を変えて挑戦しないとできないような、化学反応が起き続ける場所にしたいし、学校という枠組みや前提を超えて、15歳から20歳までの子供たちに、「どうしたら最も未来が拡張する機会が作れるか」という問の答えを創造的に生み出していきたい!


大蔵:
そうだね。高校と短大が引っ付いている高専の5年間は、人間的にも吸収力がすごくいい時期。神山まるごと高専を経て20歳になった人は、世の中や社会をどのように変えて、形作っていけばいいのか、気づきを得ているはず。今までになかった化学反応を生み出していけるだろうね。作れる人材が、未来を変えられる。そんな人材を輩出できる学校を作っていきたいね。

山川:私たち3人の挑戦は始まったばかりだから、2021年は多くの人にこの学校作りに参加してほしいね。先生集めがキーになっていくだろうし、外部でもいろんな人の話を聞いていきたい。そういうイベントをすぐに作るよ!このnoteが公開される時までに。

寺田:
うんうん。咲ちゃんの勢いとクリエイティブに期待してますよ。

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2021年1月、神山まるごと高専 学生寮の建設予定地にて

※設置構想中のため、今後内容変更の可能性があります。

[取材構成編集・文] 水玉綾、林将寛  [撮影] 澤圭太

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