現役中高生の主張に、チームラボ・猪子寿之はどう応えるか?「理想の学校」を学生と一緒に考える円卓会議。
【まるごと高専円卓会議レポート】
まるごとnote(神山まるごと高専(仮称・設置構想中)noteアカウント)編集チームです。
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※設置構想中のため、今後内容変更の可能性があります。
2021年5月17日(月)に、チームラボ 代表の猪子寿之さんをゲストに迎え、中高生4名と共に「理想の学校」について考えるイベント『まるごと高専円卓会議 特別編』を開催しました。
学校に対して感じる違和感をもとに、現役中高生たちが投げかける主張に対して、アーティスト・エンジニア・CGアニメーター・数学者・建築家など、さまざまな分野のスペシャリストで構成されたチームラボを率いる猪子さんは、どのように応えたのか。対話の先に見えてきた「理想の学校」とは?
神山まるごと高専クリエイティブディレクター(予定)山川咲がファシリテーターを担当しました。
第一部の猪子さん・中高生のディスカッションを中心にまとめましたのでぜひご覧ください!
【ゲスト】
中学生A(女性):探究学習型の指導を行う塾に通う。カードゲームを制作中。
中学生B(男性):3年間のニュージーランド留学経験を持つ。競技吹矢に熱中している。
高校生C(女性):生徒会活動や合唱団で活躍。U18のキャリア育成にも携わる。
高校生D(男性):ユネスコで国際協力の活動に携わる。TEDxの登壇経験あり。
猪子寿之さん:チームラボ代表
「一方的な授業は嫌だ!」 VS 「一方的でもいいから知を学ぼう!」
クリエイティブディレクター・山川咲(以下、山川)さん:みなさんこんばんは!今回は現役中高生とチームラボの猪子さんをお招きして「理想の学校」について話したいと思います。これから話す理想像は唯一の正解ではなく、一つの選択肢と捉えてもらいながら、皆さんとオープンに議論しながら学校を作っていくきっかけになればと思います。
さて、今回の円卓会議は初めて現役の中高生が来てくれました。まずは中高生のみんなに聞きます。みんなにとって学校はどんな場所ですか?
中学生A: 私にとって学校はまるで社会の縮図で、地域からランダムに集まった価値観や趣味の違う人たちとの人間関係を学ぶ場所だと思っています。ただ、自分の意見をいう機会のない一方的な授業は、学生の可能性を狭めてるんじゃないかと感じています。
中学生B:僕も先生が一方的に教えようとするのではなく、学生の自主的な学びをサポートする役割をしてもらいたいですね。授業を主導するのは学生がいいんじゃないでしょうか。
山川さん:一方的な授業があまり好きじゃない、と。猪子さんはどう思いますか?
チームラボ・猪子寿之(以下、猪子)さん:大前提から話すと、学校って人類が何千年かけて積み上げてきた知をぎゅっと圧縮して、学生に習得させる場なんだよね。膨大な知の中から何を学ぶか選択して、自分で勉強できる人は極わずかだから、本当に必要なものを短期的に習得させるために、カリキュラムや教科書があるの。だから授業の方法や先生の教え方は横に置いて、とにかく知を学んだ方がいいというのが俺の意見かな。
特にサイエンス(科学)と数学は学んで欲しい。社会に出るとわかるけど、数学的素養がある人とない人では、物事の捉え方が全然違って、話が噛み合わないんだよね。例えば「感染者のうち0.1%の人が死ぬ病」があったときに、数学的素養がない人は「死ぬかもしれない病気」という言葉に必要以上の恐怖を感じてしまう。同じ現象が社会の至る所で起きているよね。正しく物事を把握して判断するために数学は必須。多少の得意不得意はあれども、誰でもある程度はできるようになるから、10代の頃に学校で積み上げた方がいいと思うなぁ。
あとは他の人が一緒にいる環境も、知の習得にとって良いんだよね。大人だって自分一人で筋トレできるはずなのに、わざわざパーソナルトレーナーを雇うよね。一人だと辛いことも、他の人がいてくれることで苦痛に感じなくなるように人間はできているんだ。知を効率良く習得するために必要なものが、学校には揃っていると思うよ。
アートは美の領域を拡大し、人の行動を変える
山川さん:捉え方が斬新で面白い!ちなみに猪子さんは数学的素養の一つであるサイエンスと、数学とはあまり関係ないように見えるアートを掛け合わせた活動をしてますね。神山まるごと高専(仮称・設置構想中)でもアート教育をする予定なんだけど、学校でアートを教えることに関してはどう思う?
猪子さん:そもそもアートとは、人類がまだ美しいと気づいてないものを、作品によって言語抜きに美しいと思わせて、美の領域を拡大していく行為をさすのね。人間は本当に大事な意思決定は美意識で行っているから、美の認識を変えることは、未来の人間の行動を変えていくことに等しい。
例えば1917年にニューヨークで行われた展覧会で、芸術家マルセル・デュシャンが既製品のトイレを置いただけの『泉』という作品を出品拒否される出来事があった。手数料を払うだけで誰もがアート作品を出品できるはずの展覧会にもかかわらず、「『泉』はアート作品ではない」と拒否されたんだ。その一連の出来事がアートとは何かという議論を生みだして。
議論の末に「『泉』をアートと認めるなら、アートとは視覚的なものではなくコンセプト(概念)である」と結論が出てしまった。20世紀以降はその考え方を美しいと捉えた人たちによって、コンセプチュアルアートが主流になったんだ。100年経ったいま、コンセプトがある方が物が売れるエビデンスなんてないのに、会社も商品も当たり前のようにコンセプトがついているでしょ。みんな自然と、その方が美しいと思う世界になったんだよ。
山川さん:確かに。
猪子さん:アートは積み上げる行為ではなく、世界の見方をガラリと変えてしまう行為だから、教育によってアーティストを生み出すのは非常に難しいかもしれない。
ただし、アート作品を作ってみる経験や、デッサンを学ぶことには意味があると思う。自分が美しいと思った作品に対して、周りからフィードバックを得られるのは貴重な機会になるし、デッサンで頭の中にあるイメージを絵にできるようになると、言葉に縛られずにアイディアを共有できる。積み上げができるものを学校で教えるのはいいことだよね。
「ルールを緩くして欲しい!」 VS 「干渉への対処を身につけよう!」
山川さん:アート自体は難しくとも素養を教えることは出来そうだね。とても面白い話だけど、一旦テーマに戻って学生のみんなが感じていることを聞いていこうかな。学校について他に感じていることはありますか?
高校生D:「授業が一方的でもいい」という話は納得したんですが、学校には授業以外の場面でも横並びでないといけない重圧や縛りがあるように感じていて。もっと一人一人の良さや個性が出せるようになったらいいと思います。
中学生B:「自立しましょう」と事あるごとに言われるのに、髪型や服装に指定があったり、スマホの持ち込みもダメといったルールがあったり。矛盾してますよね。「自分で考えずにルールに従えばいい」と言われているみたいに感じます。
山川さん:窮屈さを感じているんだね。今の意見に対して、猪子さんはどう考えますか?
猪子さん:確かによく分からないルールとか、同調圧力って学校にあるよね。俺はそうしたものを「知とは無関係な干渉」と考えて徹底的に反抗してたな。例えば全校朝礼は出ることによって知が積み重なるとは思わなかったから、トイレに隠れたり窓から隣の建物に逃げたりしてやり過ごしたよ。でも学ぶ権利があるから、朝礼が終わったら堂々と学校に帰って授業を受けて(笑)。
学校って知を効率的に学べる場所であると同時に、知と無関係な干渉もある場所。社会でも同じように、本質的なこととは無関係なところで他人が干渉してくることはよくあって。社会ではそれに対して、選挙に出て法律を変えるとか、メディアを使って世論を変えるとか、自分の捉え方を変えて受け流すとかの対処をすることになるんだけど、学校をそうした立ち振る舞いを学ぶ場所と捉えるといいんじゃないかな。
自然の中で育つと脳は発達する
山川さん:まさに「学校は社会の縮図」だね。ここまでの話を聞いた上で、学生のみんなは「理想の学校」ってどんなものだと思いましたか?
高校生C:学校での生活が、社会人になった自分達に大きく影響を与えるのがわかりました。だからこそ社会に出たときに使えるコミュニケーションや働き方について、もっと学べる場所になると良さそう。私の通う学校は「学業に影響が出るから」と、バイトを禁止しているんですが、高校を卒業してすぐに働く人もいるんだし、お金を稼ぐとはどういうことかを教えてくれてもいいなって思います。
高校生D:僕は学校が失敗しまくれる場所になるといいと思いました!猪子さんの2つ目の話と通じますが、学校側は学生が失敗しないように行動を制限してきます。でも自分が学校外で活動した経験からすると、僕が一番成長したのは失敗したときだった。変な倫理観を持ち込んで失敗を抑え込むんじゃなくて、留学や起業など、なんでも挑戦させてくれる学校がいいですね。
猪子さん:「理想の学校」に対する答えにはなってないけれど、神山まるごと高専(仮称・設置構想中)が「作る」に重きを置いているのはいいと思うな。「作る」プロセスをなんども体験すると、物事は積み上がった知によってできていることが分かってくる。ロボット一つとっても、サイエンスや数学の知識がベースになっていて、「作る」を通して頭の中でバラバラに保存されていた知が体系化されて、習得しやすくなるんだ。
猪子さん:自然も教育にはすごく重要。小さい頃から立体的な空間で遊ぶことによって、頭脳の次元が変わるんだよ。都会的な生活をしているとスマホ画面を見て過ごし、綺麗にならされた地面を歩いて過ごすから、何事も平面すぎて脳みそは二次元の処理に慣れちゃう。逆に森に入ると、枝を避けたり山道でバランスを取ったりと、三次元の処理が必要になる。
実は複雑な空間で身体活動をすることで、脳の海馬の空間把握力が上がることが動物実験でわかってて。そうやって脳の次元が上がると物事の捉え方は大きく変わって、下の次元では見えなかったアイディアが見えるようになる。自然の中で行う教育は、イノベーティブな人間を育てるために有利に働くはずだよ。
あとは「少人数」というのがどっちに転ぶかは気になるね。人口密度が知を高めるというのは、歴史上証明されているから、生徒数を増やしてくことが大事だと思う。ただ、昔の寺子屋みたいに、少数の天才を育てるような場所もあるから、基礎教育においてはそれでもいいのかもしれないね。
いろいろ話したけど、知が効率良く学べて、「作る」ことで知を体系化でき、自然の中で脳を鍛えられるのが、良い学校の要素だと思う。
[構成編集・文] 水玉綾、佐藤史紹
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