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スノーピークと神山まるごと高専と自然の中での『学び』を共同デザイン。その背景にあるスノーピーク社長・山井梨沙の原体験

2023年4月の高専新設に向け、準備を進める神山まるごと高専(仮称・設置構想中)。たくさんの方のご協力、応援によって、着実に実現に近づいています。

今回、アウトドアブランドのスノーピークが新たに支援してくださいました。

そこで、実際に神山町を訪れた同社社長の山井梨沙さんと、神山まるごと高専設立準備財団代表理事・NPO法人グリーンバレー創設メンバーの大南信也、同財団理事の齊藤郁子が鼎談を実施。

スノーピークが神山まるごと高専支援をする背景には、山井さんの子ども時代の原体験がありました。

神山は「文明」と「原始」のバランスが取れた場所

ーー山井さんは昨日、今日と神山町を巡ってみて、いかがでしたか?

山井:居住エリアと自然が近く、現代における「人と自然の共生」が確立している地域だと感じました。そんな環境で生活する神山の皆さんの生きる力の強さを感じましたね。

もう一つ素晴らしいと思ったのは、町の皆さんのつながりの強さ。今必要とされている、本質的なコミュニティ連携が取れている町だと思いました。

昨日は(齊藤)郁子さんのお店『カフェオニヴァ』で食事をして、体に栄養が行き渡ったのを感じています。温泉も素晴らしかったですし、神山町は私自身が「移住したい」と思える場所でした。

大南:かつての神山町は、窮屈な田舎だった気がします。僕は若い頃カリフォルニアにいたのですが、そこは人から干渉されず、スカッと毎日晴天で、若者にとって天国みたいな場所でした。

でも1979年に神山へ帰ってきたら、きちっとした枠があって、そこからはみ出したらピシャッとされるような窮屈さがあったんですね。

神山を「開かれた田舎」にできれば、神山とカリフォルニアの両方の良いとこ取りができるかなと思って、グリーンバレーを設立し、町づくりをしてきました。

その結果、徐々に外国人をはじめ、外の人が入ってきて、段々ともみほぐされたというか。田舎には変化を嫌う人も多いですが、神山では逆に変わることの楽しさを実感する人が少しずつ増えてきたかなと思います。


齊藤:私は大南さんたちが神山をオープンな雰囲気に変えようと蒔いてきた種が芽吹き始めた10年前に、神山へやってきました。その時には、すでに外から来た人を包み込んでくれるような雰囲気があったように思います。

神山にはまだ里山の暮らしが残っていて、山の恵みをいただいて暮らす考え方もまだまだ残っています。「ここだったら持続可能な、新しいライフスタイルが模索できるかもしれない」と、とても可能性を感じました。

山井:時代が文明に偏りすぎている中、そこから逆行し、プリミティブ(原始的な、根源的な)ことに向き合おうとする人は増えていると思います。最近のキャンプブームがまさにそうですよね。

昨日は郁子さんの畑を見せていただきましたが、農作業に馬を使うなど、手法としてはプリミティブ。その一方で、外とのコミュニケーションの場面ではデジタルを活用するなど、神山はITデジタルと自然を中心とした根源的な営みを融合している町だと感じました。

全国的に地方創生が叫ばれていますけど、神山はそれが本質的に実現できている。日本でも最先端の田舎だと思います。

▲ スノーピーク 代表取締役社長 山井梨沙さん


ーースノーピークが神山まるごと高専を支援することになった背景を教えてください。

山井:これから生きるために必要な新しい要素が学べる学校だと、私自身が可能性を感じたことが一番大きいですね。

私は小学生のころから、学校教育に対して疑問を持っていましたので。

スノーピークは「衣食住働遊」の五つのテーマで事業を展開していますが、「学ぶ」も「生きる」を構成する大事な要素。いつかは自分自身が納得して教育のフィールドで活動したい気持ちがあったんです。

だから神山まるごと高専の話を耳にした時、「これは自分が実現したいことだ」と、ピュアに何かお手伝いがしたいと思いました。

もし私が中学校を卒業するタイミングで神山まるごと高専があったら、自分が大好きな野遊びや自然の中で生きることと、教育を受けることが両立できたなと羨ましく思います。

齊藤:神山まるごと高専は、若い段階から自分で考え、決定し、道を進んでいく人を輩出する学校を目指しています。その過程は成功ばかりではもちろんありません。心が折れる瞬間もきっとあるでしょう。

でも、そんな時には自分を包み込み、恵みを与えてくれる自然が神山にはあります。失敗しても「生きていくのには問題ない」と思わせてくれる安心感がある。

ただでさえ不安も多いですから、挑戦には安心感が必要なのだと思います。そういう意味では、山河の確固たる恵みを感じながら挑戦できる神山の環境自体が、最高の学びになると思います。

山井:ありがたいことに、私はキャンプができる環境で育ちました。生きていく上で大切な主体性を、私はキャンプで培ったと自負しています。

例えば川遊び中に深いところに入って流されるなど、「自力でどうにかしなければいけない」状況は、自然の中では常に隣り合わせ。自然環境の不確定要素に対して、自分で考えて行動する姿勢は、キャンプ生活で培われました。その力は、仕事をする上でも生きています。


だからこそ、中学校卒業後に自然の中で暮らしながら、知恵を身に付けることの意義を感じますね。自然と向き合う中で新しいアイデアを得て、都会で過ごすのとは全く違う視点を育む。神山にいるアウトドアパーソンたちも、きっと学生の皆さんに知恵を与えてくれると思います。

▲ NPOグリーンバレー 創設メンバーの大南信也さん(写真中央)

ーーアウトドアパーソン、ですか?


山井:自然と人を愛し、困っている人に手を差し伸べられる人を、私は「アウトドアパーソン」と言っています。

東京は生活インフラが整いすぎていて、簡単に孤立して生きることができてしまう。

便利さや効率化を重視した都市設計で、文明が行き過ぎてしまっています。

その現状に対し、当社はキャンプをベースに、アウトドアパーソンを増やそうとしています。

自然環境では誰かと協力しなければ生活ができません。極端なことを言えば、食材が調達できなければ飢えてしまうし、装備がなく天候が悪ければ生き抜けない。そういう中で生きるための価値観や人間性が、今の時代に必要なのではないでしょうか。

その点、神山にはくじけた時に話を聞いてくれたり、再び二本足で立てるようなサポートをしてくれたりするアウトドアパーソンがたくさんいるように感じました。

齊藤:神山の人には、地に足を着けて生きている力強さがあります。自分を満たせているから、他の人を幸せにする準備ができている。うまく言葉にできないですが、(山井)梨沙さんがおっしゃる「アウトドアパーソンが他人に手を差し伸べられる」というのは、そういうことなんだと思います。

▲ NPOグリーンバレー理事の齊藤郁子さん(写真右)


#「すごい人」は、みんなと同じ普通の人


大南:神山でそれができるようになるまでには、トレーニングがあったと思います。

例えば『オニヴァ』には夕方になると地元のおっちゃんたちがワインを飲みに来ますが、最初のころは「俺らはワインなんか飲まん」と言っていました。

でも、シェフの長谷川さんが厳選したワインは非常においしいわけです。そのワインを飲みながら、カウンターに座って、郁子さんや長谷川さんが働いている姿を見る。そうしたら、おっちゃんたちがぽつっと、こう話し始めるんです。

「俺は神山で数十年仕事をしてきて、多分、オニヴァの人たちよりお金は持っとる。だけど、あんたたちは楽しそうに仕事しよるね。自分は一生懸命働いてきたけど、楽しかったわけではなく、お金を儲けようと思ってきたわ」

で、「俺もこれからは人生を楽しむぞ」と、グラス1杯1000円を超えるようなワインを飲む。それは自分の気持ちを満たすためでもあるけれど、それによって自分のお金が『オニヴァ』の人たちに移り、それでお店がうまくいくことで、その結果がまた町に帰ってくる。そんな大きな循環を無意識のうちに感じているんだと思うんですよね。

そこが、神山の一番大事なところです。役所が号令をかけたり、町づくりのキャンペーンをやったりしたわけではなく、そういった付き合い方ができる人の数が増えてきたことが、今の神山をつくったんだと思います。

ーー経済の循環というだけでなく、もっと血が通った温かみを感じますね。

大南:そう、もっと根源的なものやと思います。僕は、人間にとって大切なのは気づきだと思っているんですよ。

これが難しいのは、「気づき」は教えられるものではないということ。本人の内面的な変化が起き、それが腑に落ちた状態が「気づき」ですから。

山井:気づきを得る上でも、私はやはり自然の存在が大きいと思っています。自然は、自分を豊かな価値観に引き戻してくれる

私が自然の中で人と過ごすとき、「ただの一人の人間」に戻れる感覚があるんですよ。

私は代表取締役社長という立場で、ユーザーさんや従業員など、いろいろなステークホルダーがいます。社会というプラットフォームに乗ってしまうと、私が望まずとも上下関係が発生してしまうわけです。

でも、自然というプラットフォームでは、同じ自然で生きるただの人間としてコミュニケーションが取れる。自然の中でキャンプをして火を囲んで話をする体験を通して、それは何にも変えられないことだと感じています。

仕事に追われたり、都市生活の中で大事なものを見失いそうになったりする中で、時に間違いを犯しそうになることもある。でも、自然の中で人と向き合うことで過ちに気づけます。それはもう、本当に財産です。

大南:神山は、1927年に一人のアメリカ人女性が一体の「青い目の人形」を贈ってくれたことがきっかけとなり、ここ30年間様々な大きな変化が生み出されてきました。でも、その起点となった女性は何も特別に選ばれた人ではなく、私たちと同じようなごく普通の人ですよね。

世間では何かを成し遂げた人は特別な人だと考えがちですが、普通の人が普通に頑張って、その中で何かに気づき、いろいろなことが発展し、物事が起こっていく。だから可能性はみんなにあるんです。

山井さんも、きっと「スノーピークの社長のすごい人」として見えているでしょう。メディアを通して見る人は、メディアのフィルターもあって「自分たちとは全く違う世界で、すごいことをやっている人」になってしまう。

でも、そういう人が神山にやってきて、フラットな状況の中で言葉を交わすことで、学生たちは「普通の大人だよな」という感覚を持てると思うんです。

そこで自分の可能性に気づいて、「自分もやればできるかな」と、新たなコトを起こしていく。そんな可能性を感じていますね。

山井:先日、寺田さん(神山まるごと高専理事長/Sansan社長)と話しましたが、私も寺田さんも父親が社長だったから、社長がそれほど特別なものとは思っていなかったんです。もし父がアーティストだったら、アーティストが身近な職業になっていたかもしれません。

大南さんがおっしゃるように、学校で当たり前のように社長や学者など、いろいろな職業の人と焚き火を囲んで話せる環境があれば、そこから広がる選択肢は無限大だなと思います。

#学生同士だけでなく 、先生や神山に住む人とも親友になれるかも

ーースノーピークとして、神山まるごと高専と一緒にやりたいことはありますか?

山井:私が自然から主体性を育んだように、机に張り付いて勉強に励むだけでは得られない、自我や主体性を形成するための考え方をお伝えできたらいいなと思います。

もしかすると大都市圏から神山に移住することで、価値観の違和感を感じてしまう学生もいるかもしれません。都市生活と自然が身近な生活は圧倒的に違うので、そこのフォローもできるかもしれないですね。

私自身は放課後に焚き火を一緒にしながら、話を聞くことぐらいしかできませんが(笑)

ーー先ほど「学校教育に疑問を持っていた」とおっしゃっていました。山井さんは、どんな子どもだったんですか?

山井:「何のためにやらなければいけないのか」という疑問が尽きない子どもでした。

例えば宿題はやった方がいいことですが、当時の私は宿題をやる理由が腑に落ちず、その状態のまま先に進めなくて。やらなければいけないことがかっちり決まっている仕組みに、自分が組み込まれていることにも違和感がありました。

もちろん授業を受ける中で新たな興味関心を得て、広がった部分もたくさんあります。でも、それよりも小川でザリガニを釣ったり植物採取したりといったことへの興味が圧倒的に高かった。

子どもの意志や主体性を尊重してくれるアウトドアパーソンが周りにたくさんいたから救われていましたが、学校で自分がやりたいことをさせてもらえないことにストレスを感じていた気がします。


齊藤:神山まるごと高専は普通の学校の枠にとどまらない学校を目指し、自分の時間が取りやすいカリキュラムを作ろうとしています。当時の梨沙さんのような子に対して、自分の興味を深掘りしやすい環境は用意できると思います。

また、自然は刻々と変化し移ろっていきます。ところが人間は社会にルールを作ってなかなか変化しようとしませんが、その外側には、別のもっと大きな流れがある。ここでは、人間の営みを大きな自然の一部として客観視できるかと思います。

自然との触れ合いは、そうやって人間を客観的に見つめることにもなるのだと思います。「自分はこうしたい」「こうやって生きていきたい」ということも考えやすいんじゃないかな。

そして、神山まるごと高専を作り出す大人たちには、変化を取り入れる軽やかな人が多く集まっています自然と人の両方の環境があるから、俯瞰して、広く客観的に物事を見る視点が得られる環境だなと思います。

山井:私は学校の先生との信頼関係がうまく作れなかったのですが、その原因は環境も大きかったと思います。

先生から生徒へ一方通行のコミュニケーションになりがちな学校に対し、何が起こるかわからない自然環境では、大人と子供であっても双方向にコミュニケーションを取ります。だからアウトドアパーソンの大人たちとは信頼関係を築けたのだと思います。

もしかしたら今まで家にこもってゲームやプログラミングをしていた子も、神山の環境に解き放たれ、自然の中で体を動かしながら大人たちと関わる中で、オープンマインドになれるかもしれません。郁子さんがおっしゃる通り、視野も広がるだろうと思います。

神山まるごと高専では、きっと生徒と先生、起業家講師、愛情深い地元の方など、それぞれが混ざり合って、生徒はもちろん、周りの大人たちもたくさんの気づきと学びを得るんじゃないかと想像しています。

卒業する頃には、学生同士だけでなく、学校の先生やスタッフの皆さん、神山に住む方々とも親友になれるかもしれない。そんな学校になったら、本当に素敵だな思います。


[取材・文・構成] 天野夏海 [撮影]生津勝隆